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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)4889号 判決

原告 岩元武雄

原告 菊池己成

原告 後藤弥悦郎

右三名訴訟代理人弁護士 川人 博

同 吉田健一

同 蔵本怜子

同 鴨田哲郎

同 山本 孝

同 伊藤恵子

同 室井 優

同訴訟復代理人弁護士 平 和元

同 河西龍太郎

同 土田庄一

同 山本高行

被告 日鉄鉱業株式会社

右代表者代表取締役 仲上正信

右訴訟代理人弁護士 小林嗣政

被告 合名会社菅原工業

右代表者代表社員 菅原 実

右訴訟代理人弁護士 関 孝友

主文

一  被告らは各自、原告岩元武雄に対し二五二〇万一八五〇円、原告菊池己成に対し二六七二万六六七七円及び原告後藤弥悦郎に対し二六九〇万六五四二円並びに右各金員に対する昭和五七年六月九日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の各請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告岩元武雄と被告らとの間ではこれを三分し、その二を同原告の、その余を被告らの各負担とし、原告菊池己成と被告らとの間ではこれを二分し、その一を同原告の、その余を被告らの各負担とし、原告後藤弥悦郎と被告らとの間ではこれを五分し、その三を同原告の、その余を被告らの各負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一章  当事者の求める裁判

第一  請求の趣旨

一  被告らは各自、原告岩元武雄(以下「原告岩元」という。)に対し八〇〇〇万円及びこれに対する昭和五五年六月一六日から、原告菊池己成(以下「原告菊池」という。)に対し五五〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一〇月三日から原告後藤弥悦郎(以下「原告後藤」という。)に対し七〇〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一〇月五日から各支払ずみまで各年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行の宣言

第二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら共通)

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

三  仮執行の免脱宣言

第二章  当事者の主張

第一  請求原因

一  当事者

1 被告ら

(一) 被告日鉄鉱業株式会社(以下「被告日鉄」という。)は、第二次世界大戦前に日本の製鉄部門を一手に独占していた日本製鉄株式会社が製鉄資源の開発確保を企図してその鉱業部門を独立させることとなり、昭和一四年五月二〇日に鉱業及び鉱物加工業を主な目的として設立された株式会社であり、昭和五六年九月現在、発行ずみ株式総数の二七・八パーセントを新日本製鉄株式会社が保有している。その規模は、資本金三四億六五〇〇万円(昭和五六年一一月現在)、従業員数一二九二名(同年九月現在)であり、昭和五六年度上半期の売上構成は、石灰石三一パーセント、砕石八パーセント、鉄鉱石四パーセント、鋼精鉱三パーセント、銅地金等一七パーセント、その他三七パーセントである。

被告日鉄は昭和五七年四月当時、全国に三か所の採石場を有していたが、その一つが原告らの稼動していた松尾採石所(東京都西多摩郡日の出町大字大久野四四七三番地所在)である。

(二) 被告合名会社菅原工業(以下「被告菅原」という。)は、昭和四四年六月二日に坑道の掘進及び採掘作業等を主な目的として設立された合名会社であり、被告日鉄との間で締結した請負契約に基づき、松尾採石所において坑道掘進、立坑掘進、長孔穿孔等の作業に従事していたものである。

2 原告ら

(一) 原告岩元(昭和五年一〇月一八日生まれ)は、昭和四一年五月から削岩夫として松尾採石所で稼動してきたものであるが、昭和四四年六月に被告菅原が設立されてからは同被告との間で雇用契約を締結し、同被告の従業員として削岩作業に従事していたものである。

(二) 原告菊池(昭和四年六月一八日生まれ)は、昭和四二年八月から削岩夫として松尾採石所で稼動してきたものであるが、昭和四四年六月に被告菅原が設立されてからは同被告との間で雇用契約を締結し、同被告の従業員として削岩作業に従事していたものである。

(三) 原告後藤(昭和四年三月八日生まれ)は、昭和四二年七月から削岩夫として松尾採石所で稼動してきたものであるが、昭和四四年六月に被告菅原が設立されてからは同被告との間で雇用契約を締結し、昭和五二年三月に日本ロックエンジニアリング株式会社(以下「日本ロック」という。)へ移るまで同被告の従業員として削岩作業に従事していたものである。

二  松尾採石所における労働の実態

1 松尾採石所のしくみ

松尾採石所は、昭和四二年七月ころ被告日鉄によって設置されたものであるが、その採石権、採石設備及び備品等一切を同被告が所有し、これを保守管理しているものであり、ここでは道路舗装用の砕石等の採掘が行われている。

松尾採石所における採掘作業は、被告日鉄の指揮監督のもとに同被告の従業員約二〇名、被告菅原の従業員約一〇名、訴外株式会社時田組の従業員約五名及び訴外有限会社小塚重機の従業員約五名等により、これらが混然一体となって行われてきたが、その作業計画の立案、決定及び命令並びに具体的作業の指示及び監督等はすべて被告日鉄によりなされており、その収益も専ら同被告が取得していた。被告菅原は採石作業に必要な設備及び備品を全く所有せず、単に原告らを削岩夫として被告日鉄に供給していたにすぎない。原告らの日常の作業内容は被告日鉄により決定され、原告らは同被告の係員から直接指示を受け、又は被告菅原の代表者である菅原実を通じて間接的にその指示を受けていたものである。

2 松尾採石所における作業の内容と作業環境

(一) 松尾採石所においては、地下に存在する石を採掘するのではなく、まず山麓に水平な運搬坑道及び積込坑道を掘進し、次に各坑道から上方に向けて立坑を掘進し、右各坑道の上方に水平な坑道を掘進するなどして、山を形成する岩を上方に向けて掘り進む採掘方法を採用しており、外気との接点は入坑口一か所のほかはほとんどない。このため、原告らが就労していた坑内各作業場には常に多量の粉じんが充満していた。

坑内作業の主なものは、次に述べる坑道掘進作業、立坑掘進作業、長孔掘進作業、ダンプカーへの積込作業、砕石運搬作業及び発破作業であり、原告らはこれらの作業に従事していたものであるが、これら坑内作業のいずれにおいても粉じんが発生し、原告らは多量の粉じんの吸入を余儀なくされていた。

(二) 坑道掘進作業

(1) これは縦五メートル横六メートルの運搬坑道や縦横各四メートルの積込坑道等の坑道を掘進する作業であるが、この作業においては常に多量の粉じんが発生した。この作業は、昭和五〇年ころまでは二人一組で行われていたが、それ以降は一人で行われるようになった。このうち、二人一組で行う場合には、一人がTY削岩機及びダイナマイトを使用して掘進作業を行う一方で、他の一人がその背後でスラッシャーを使用して砕石(ずり)を掻く作業を行い、一人で行う場合には、右各作業を交互に行っていた。この際、TY削岩機、ダイナマイト及びスラッシャーの各使用により多量の粉じんが発生し、空気中に飛散充満するとともに坑内のあらゆる場所に沈澱堆積した。

(2) 坑道掘進作業では、岩の中へ掘り進むわけであるから、坑内は必然的に密閉状態となり、空気の循環も行われず、作業員は発生した多量の粉じんを吸入し続ける結果となった。坑内各所に堆積した粉じんは、TY削岩機から噴射される圧縮空気によって再度空気中に拡散されたばかりでなく、上方の坑道から立坑を通して落下される多量のずりによっても舞い上がり、このような粉じんに、発破作業で発生する多量の粉じんが加わって、坑内では一メートル先が見えないこともしばしばであった。

(三) 立坑掘進作業

これは運搬坑道及び積込坑道から上方に掘り進むための縦横とも約二メートル、高さ約三〇メートルの立坑を掘進する作業であるが、この作業においても多量の粉じんが発生し、これを吸入せずに作業することはおよそ不可能であった。この作業は、TY削岩機及びダイナマイトを使用して行うものであるが、掘り進むにつれておびただしい量の粉じんが空気中に舞い上がり、上方の換気が不十分なところでは、作業員は多量の粉じんを吸入し続ける結果となった。

(四) 長孔掘進作業

これは、岩盤を大規模に破壊・落盤させるためのダイナマイトを仕掛ける直径約五センチメートル、長さ一〇メートルないし二〇メートルの長孔を掘る作業であり、DH削岩機を使用して行われた。この作業は、運搬坑道及び積込坑道に通じる坑道において行われたのであるが、この坑道付近は、後述するブルドーザー、ショベルカー及びダンプカーの各運行により常に多量の粉じんが飛散しており、〇・五メートルないし一メートル先の工場が見えないこともしばしばであって、作業員は大量の粉じんの吸入を余儀なくされた。

(五) 積込み、運搬、大規模発破作業

(1) 積込作業

これは、積込坑道においてブルドーザー及びショベルカーを使用してダンプカーに砕石を積み込む作業であるが、この作業のほか、これと同時に行われる小割作業(TY削岩機を使用して大きな岩を小さく砕く作業)においても多量の粉じんが発生した。

(2) 運搬作業

これはダンプカーによる砕石運搬作業であるが、ダンプカーの運行により、坑内に堆積した粉じんが空気中に飛散した。特にダンプカーが連続して坑道を通行する際には、後続車の運転手はそれだけでも多量の粉じん及び排気ガスの吸入を余儀なくされたが、さらに積込作業の際には、積込みをするショベルカーの動きに合わせてダンプカーを前後左右に移動させる必要があり、ダンプカーの運転手はショベルカーの動きを見るため常に窓を開けていなければならなかったから、一層多くの粉じんを吸入する結果となった。

(3) 大規模発破作業

これはダイナマイトによる発破作業であるが、この作業においても多量の粉じんが発生して坑内に充満し、坑内いたるところに粉じんが堆積した。

3 劣悪な労働条件と健康管理の実態

(一) 粉じん遮断対策の実態

松尾採石所においては、前記のように、すべての作業において粉じんが発生し、坑内に充満する状態にあったが、この粉じん発生を抑制するための措置はないに等しい状態であり、発生した粉じんの吸入を防ぐための遮断対策としても、形だけの換気装置が、当初は山の上に一つ、昭和五二年ころになってようやく二か所に設置されたにすぎず、集じん機も用意されてはいたものの全く効用のないものであった。また、マスクについても、昭和五〇年ころまで支給されていたものは、フィルターすら装備されていない粗雑なものであり、それ以降に支給されたものも、フィルターこそ装備されてはいたが、充満する粉じんから人体を保護するのには極めて不十分なものであった。

(二) 出来高払の長時間労働

松尾採石所の就業時間は、契約では、始業午前七時、終業午後三時と定められていたが、実際には残業が常態化し、毎日午後四時ないし五時、遅いときには午後一〇時までも坑内作業が行われ、休日出勤も少なくなかった。昼休みも坑外に出ることはなく、粉じんが充満する坑内で食事をとるものとされ、食事に要する時間以外は事実上休憩時間を与えられなかった。

被告らは、このような長時間労働を原告ら労働者に強いるため、労働者が定時に坑内から出ようとする場合にはさまざまないやがらせを行うとともに、出来高払の安い賃金体系を採用して、労働者が無理をしてでも働かざるをえない状況を作り出していた。

(三) 健康管理の実態

被告らは、松尾採石所における粉じん作業により労働者がじん肺に罹患する危険を十分知りながら、原告らに対してその危険を知らせず、なんらの安全教育を行ってこなかったばかりでなく、じん肺法(以下、昭和三五年三月三一日に公布され同年四月一日から施行されたじん肺法(昭和三五年法律第三〇号)を「旧じん肺法」、昭和五二年七月一日に公布された労働安全衛生法及びじん肺法の一部を改正する法律(昭和五二年法律第七六五号)によって改正された後のじん肺法(昭和五三年三月三一日施行)を「改正じん肺法」といい、これらを総称するときは「じん肺法」という。)所定の健康診断を定期的に実施せず、たまに実施してもその診断内容を労働者に正確に伝えないで重症であることを原告らに対して隠し続けたうえ、配転等による作業転換や作業上の配慮、労働時間の短縮、環境の改善等を一切行わないまま原告らを働かせ続け、労働基準監督署への健康診断結果の届出等もせず、悪質な違法行為を重ねてきた。

三  原告らのじん肺罹患の経過とその被害

1 じん肺の病像

じん肺とは各種粉じんの吸入によって胸部エックス線に異常粒状影、線状影が現れ、進行に伴って肺機能の低下を来し、肺性心にまで至る疾患であり、剖検すると粉じん性線維化巣、気管支炎、肺気腫を認め、血管変化をも伴う肺疾患である。その基本的病態は、〈1〉リンパ腺の粉じん結節、〈2〉肺野の粉じん結節、〈3〉気管支炎、細気管支炎、肺胞炎、〈4〉肺組織の変性、壊死、〈5〉肺気腫、〈6〉肺内血管変化、〈7〉肺性心であり、これらの変化が一連のものとして発生し、進行する。さらに、これらの基本的病態に伴って、肺結核のみならず消化管の潰瘍、虚血性心疾患、腎臓・肝臓の障害等さまざまな合併症が現れ、肺機能だけでなく身体の諸部位に障害が現れる。じん肺は、粉じん職場での就労を継続するとその間病変が進行するというだけでなく、粉じん職場を離れ原因関係が遮断された後においても病変が悪化する進行性の疾患であり、ごく初期の段階の炎症性変化に対しては治療効果があるが、線維増殖性変化、気腫性変化、進行した炎症性変化、血管変化に対しては治療方法が全くない不可逆性の疾患である。そして、前記のとおり身体の諸部位に障害が現れる全身性の疾患であるとともに、その大多数が労働過程のなかで大量の粉じん吸入を余儀なくされた結果発生する職業性疾患である。

2 原告岩元

(一) 原告岩元は、身長一四八センチメートルと小柄ながら、松尾採石所で粉じん作業に従事するまではいたって健康であったが、同採石所で稼動し始めて九年後の昭和五〇年一〇月二九日、西多摩病院の小野広喜医師よりじん肺健康管理区分の管理二の診断を受けた。同原告は、その後も肉体的疲労を訴えつつ長孔作業に従事していたが、昭和五四年には激しい動悸とともに非常な苦痛を感じるようになり、さらに、同年末ころから昭和五五年初めころには咳や黒い痰が毎日のように出て、体全体に痛みを感じるという状態になった。そして、同年六月一七日に西多摩病院で診察を受けたところ、右小野医師よりじん肺管理区分の管理四との診断を受けたので、同年七月二五日東京労働基準局長に対してじん肺管理区分の決定の申請をし、同年八月一五日同局長から同管理四の決定を受けた。

(二) 原告岩元は、じん肺に罹患した結果、現在では少し歩いただけで息切れがし、食事中にも、痰が出ると食べたものをすべて吐き出してしまうといった状態であり、これにめまい、頭痛、難聴及び耳鳴り等の症状が加わってその苦痛は言葉では表現しえない。

3 原告菊池

(一) 原告菊池は、身長一五七センチメートル、体重四八キログラムと小柄ながら、じん肺に罹患するまでは病気らしい病気をしたこともなく、一〇年以上にわたって松尾採石所での激しい労働に従事してきていたが、昭和五四年ころから疲れやすく、また汗をかきやすくなり始め、咳も頻繁に出るようになり、同年四月二日第一検査センターの巡回検診において呼吸器異常により第二次検査を要するとの診断を受け、昭和五五年九月三〇日にはじん肺管理区分の管理二の、昭和五六年八月六日には同管理三イの各決定を受けた。そして、その後更に病状が悪化し、同年一〇月三日には西多摩病院の佐野辰雄医師より同管理三ロ及び続発性気管支炎の合併症との診断を受け、同年一一月二五日東京労働基準局長から同管理三イ及び続発性気管支炎の合併症との決定を受けて療養を要するものとされ、また、昭和六三年一一月一〇日には同局長から同管理四の決定を受けるに至った。

(二) 原告菊池は、現在西多摩病院に週一回通院して治療を継続するとともに、薬を服用しながら自宅で療養するという生活を送っているが、同原告の健康状態は、昭和五六年に入るころから全身の疲労感が強くなり始め、特に膝、肘がだるい、後頭部に痛みを覚える、背中が圧迫されるような苦しみ等を頻繁に感じるようになった。また、動悸、息切れの症状も悪化しており、階段の昇降や入浴はもとより、多少の歩行でも息苦しくなって立ち止まることがしばしばである。近年汗をかきやすく、また、風邪をひきやすくなり、咳や痰が出る回数も年々著しく増加しており、朝晩激しい咳におそわれて、そのたびに黒い痰が出る状態にある。

4 原告後藤

(一) 原告後藤は、松尾採石所で粉じん作業に従事するまでは健康であったが、昭和四八年ころから作業中に激しく咳こむようになり、全身に疲労感を覚えるとともに多少の歩行でも息切れがひどくなった。昭和五〇年一〇月二九日西多摩病院の小野広喜医師よりじん肺健康管理区分の管理三の診断を受けたが、その後、昭和五六年一〇月五日には珪肺労災病院職業病検診センターの千代谷慶三医師よりじん肺管理区分の管理四の診断を受け、同月三一日付で栃木労働基準局長から同管理四の決定を受けた。

(二) 原告後藤は、現在二週間に一度前記珪肺病院に通院して対症療法を受けているが、咳や痰が日常的に出ており、いつも風邪気味のような状態にある。特に、咳が激しく出ると痰が喉に絡まって呼吸困難となり、目の前が真っ暗となることもしばしばで、坂道や階段での息切れも激しく、平坦な道でもゆっくり歩くのがやっとという状態である。加えて長年の坑内作業により難聴となり、ときどき耳の奥で金属音が響くとともに、針で刺したような痛みを覚えるといった症状で、その苦痛は到底言葉では表現しえないほどである。

四  被告らの責任

1 使用者の安全配慮義務違反(じん肺発生阻止義務)

一般に、使用者は、使用する労働者の生命及び身体の安全を確保し、その健康を保持するため、労働条件を整備し、安全衛生、健康管理等に十分留意すべき重大な労働契約上の義務を負っている。労働者を使用することによって利益を上げている使用者としては、労働過程のなかで万一にも労働者が負傷したり病気になることのないように、万全の措置を講ずべき義務を負っているのである。とりわけ、使用者が労働者をして危険又は有害な業務に従事させる場合には、当該労働者が危険又は有害な業務によって、その生命、身体等を損なうことのないようにより一層注意し、具体的な措置を尽くすべき義務を負っている。

改めていうまでもなく、労働者にとって生命と健康は生きていくうえでの最低条件であり、最も根源的な権利というべきものであるから、何人もいかなる理由をもってしてもこれを侵すことは許されない。ましてや、本件のように、労働者を粉じん作業に従事させるにあたり使用者の果たすべき義務は極めて重大である。粉じん作業に伴いじん肺が発生することは古くからよく知られており、昭和三五年には多数の被災労働者の救済とじん肺の予防のため、数多くの職業病の中では唯一の例外として旧じん肺法が制定され、不十分ながらもその保護が図られている。また、じん肺は、前述したように不可逆性・進行性等の特質をもち、現代医学においても全く治療法がないため、いったん罹患するや不治の病として死を待つしかない悲惨な病気であり、その被害は極めて重大である。

したがって、使用者としては、常にじん肺に罹患する危険を伴う粉じん作業に労働者を従事させるにあたっては、一般の作業に比して、より高度で総合的かつ具体的な万全の安全配慮義務違反を負っているものというべきであり、その内容をひとことでいうならば、「労働者がじん肺に罹患しないように保護すべき義務(じん肺発生阻止義務)」であるというべきである。

2 被告日鉄の責任

(一) 被告日鉄は、次のとおり、原告らを自己の従業員と同様に管理支配していたものであるから、被告日鉄と原告らとの間には使用従属関係が認められるものであり、したがって、被告日鉄は、使用者として原告らに対して前記のような安全配慮義務を負っていたものというべきである。

(1) 採石権、採石方法の決定、業務の指示等

ア 松尾採石所における採石権は、被告日鉄がこれを有し、採れた石の売却による利益も同被告がこれを取得していたものである。

イ 松尾採石所における採石方法、通気方法及び採石計画等(採石の量及び時期並びに工事の変更、追加及び中止等)は、すべて被告日鉄が独自に決定し、その決定に従って原告らを採石作業に従事させてきた。

ウ 被告菅原は、原告らを人夫として被告日鉄に供給していたにすぎず、同被告の指示に従う義務を負っていたから、原告らは同被告の指示に従って採石作業に従事してきた。

エ 被告日鉄は、係員を配置して常に坑内を見回り、原告らの採石作業が同被告の決定した計画どおり進んでいるかどうかを確認していた。

オ 坑道の位置、方向の決定は、被告日鉄の従業員が測量のうえで決定しており、被告菅原はそれらの決定になんら関与せず、原告らは右決定に従うのみであった。

(2) 設備等の所有

ア 採石のために必要な機械、器具等の設備のほとんどは、いずれも被告日鉄の所有であり、被告菅原の所有物は削岩機の一部(ロッド)くらいで取るに足りないものであった。

イ 松尾採石所における動力源であるエアコンプレッサーの始動・停止は被告日鉄が行っていた。

(3) 作業内容の一体性

松尾採石所における採石作業は、同一の坑内で同一の環境のもとに被告日鉄の従業員、被告菅原の従業員である原告ら及びその他の請負組の従業員が縦横上下に移動し、混然一体となって行っていたものであり、被告日鉄の従業員の作業内容と原告らの作業内容とは明確に区分されていたわけではなく、いずれの作業も採石のために必須のものであった。

(4) 被告菅原の人事権の掌握

ア 被告菅原が被告日鉄との間で締結した工事請負基本契約(以下「本件基本契約」という。)によれば、被告菅原は、あらかじめ従業員名簿を提出して被告日鉄の承認を受けなければならないだけでなく(同契約九条)、被告菅原の従業員に不都合があった場合には、被告日鉄がその従業員をやめさせる権限を有していた(同契約二三条)。すなわち、同被告は被告菅原の人事権を完全に掌握していたのである。そうでありながら、被告日鉄は原告らに対して事業主としての責を負わない旨をあえて定め(同契約二四条)、形式上その責任の切断を図っているのである。

イ 被告菅原は、形式上会社組織となっていたが会社としての実体はなく、また、みずから坑内における安全対策、粉じん防止対策をとれるほどの資力もなく、その意思もなかった。同被告は松尾採石所における一坑夫が作った会社であり、同採石所においてのみ存在しえた会社である。同被告は松尾採石所の閉鎖に伴い活動を終了し、同採石所以外での活動は皆無である。

(5) 健康管理等

ア 松尾採石所における安全週間、健康診断等の行事はすべて被告日鉄が決定し、同被告の従業員とともに原告らを参加させていた。

イ 被告菅原は、その従業員がじん肺に罹患したときは、被告日鉄に報告すべき義務があるものと認識しており(本件基本契約二五条)、同被告としても当然にその報告があるものと認識していた。

(二) 被告日鉄の安全配慮義務(じん肺発生阻止義務)違反

(1) 採掘法選択における義務違反

被告日鉄は、松尾採石所における採掘法として坑内採掘法を採用していたが、我が国の大規模な採石現場で坑内採掘法を採用していたのは松尾採石所だけであり、他の採石現場では露天掘り法がとられていた。そもそも、同じ粉じん職場であっても、坑内採掘法の場合が、露天掘り法の場合に比較して、じん肺発生の危険性が高いことは自明のことであり、同被告も坑内採掘法をとった場合に粉じん発生の危険性が高いことを熟知しながら、あえて同採掘法による作業を行わせたものであるから、同採掘法を採用したこと自体、原告らに対する具体的な安全配慮義務を欠いたものというべきである。したがって、同被告は、原告らのじん肺罹患が松尾採石所における粉じん労働と一切関係がないと立証できない限り、原告らがじん肺に罹患したことによって被った後記損害を賠償すべき義務があるものというべきである。

(2) 施策に関する義務違反

被告日鉄は、坑内採掘法を採用した以上、じん肺を発生させないための総合的かつ具体的な万全の施策を講ずべき義務がある。具体的には、じん肺発生の原因が粉じんの吸入にあることは明らかであるから、被告日鉄には、労働者に有害な粉じんを吸入させない義務、少なくとも、絶対にじん肺に罹患しない量未満の粉じん吸入に抑える義務があるものというべきである。

もとより、現代技術においても、粉じんの発生・排出・吸入の各段階においてそれぞれ独自にはじん肺発生阻止の完全は期しえない。具体的には、湿式削岩機を使用しても粉じん発生を完全には阻止することができず、通気設備を設けても粉じん排出を完全にはなしえず、検定ずみの防じんマスクを着用しても粉じん吸入を完全には阻止することができないのである。すなわち、一つの施策によって完全に粉じんの人体への吸入を阻止することができるのであればともかく、それができないのであるから、使用者としては、あらゆる施策を総合してじん肺の発生を阻止すべき義務があるものといわなければならない。このような意味において、被告日鉄には、総合的施策としてのじん肺発生阻止義務があるのであり、粉じん発生抑制義務、粉じん排出・希釈義務、粉じん吸入防止義務等の義務が、それぞれ独立の義務として個別に設定されるものではない。換言すると、一つの施策について、個別に行政的な規制や指導を順守し、当時の最高水準の措置をとったとしても、なんらじん肺発生阻止義務を尽くしたことにはならないのであり、考えうるあらゆる施策をそれぞれ万全に講じてじん肺に罹患しないようにしなければならないのである。

ただ、じん肺の発生機序からすると、主要な施策としては、〈1〉粉じんの発生を抑制すること、〈2〉発生した粉じんを労働者が吸入する前に排出・希釈すること、〈3〉粉じんの吸入を抑制すること、〈4〉粉じん暴露時間を短縮すること、〈5〉右〈1〉ないし〈4〉の施策の実効を期すために、労働者にじん肺に関する基本的な知識(じん肺の病像及びその機序等)、粉じん対策の重要性などを機会あるごとに教育し、作業現場における粉じんに関する情報を正確に伝えるとともに、じん肺の健康管理を十分に行うこと等を挙げることができるので、以下、右の各施策に沿って、被告日鉄の安全配慮義務違反について詳述する。

ア 粉じん抑制対策に関する義務違反

前記のとおり、被告日鉄は坑内採掘法をとった場合にじん肺発生の危険性が高いことを熟知していたのであるから、同被告としては、松尾採石所における粉じん濃度を定期的に測定し、その危険な実態を正確に把握するとともに、じん肺予防の大原則である粉じん抑制のための措置をとる義務があったものというべきである。しかるに被告日鉄は、次のとおり、粉じん抑制のため十分な措置をとらず、原告らをじん肺に罹患させたものである。

(ア) 被告日鉄は、昭和五五年に至るまで松尾採石所坑内の粉じん濃度を測定したことがなく、同年一一月に初めてこれを測定し、さらに昭和五六年二月にもう一度測定しているのであるが、その結果は日本産業衛生学会が定める許容濃度の一〇倍以上にも達するのものであった。すなわち、右許容濃度とは、「労働者が有害物に連日暴露されている場合に、当該有害物の空気中濃度がこの数値以下であればほとんどすべての労働者に悪影響が見られない濃度」と規定されており、環境濃度(粉じん職場の空間における平均的濃度)と暴露濃度(作業個人が暴露される濃度)とに大別される粉じん濃度のうち後者を指すものであるが、暴露濃度は環境濃度の約三倍に相当するものとされているから、被告日鉄の測定値を三倍して暴露濃度に換算すると、その値は一立法メートルあたり三・九ミリグラムないし六・三ミリグラムとなり、前記許容濃度の一立法メートルあたり〇・三七ミリグラムの一〇倍以上に及ぶのである。

(イ) これらの粉じんは、削岩、発破(坑道掘進、長孔穿孔、小割)、ずり掻き、積込等の作業により発生し飛散したものであるが、右各作業における被告日鉄の粉じん抑制対策は全く不充分なものであった。すなわち、削岩作業においては、湿式削岩機を使用して水の量及び強さを適切に調節すれば粉じんの発生をある程度抑制できるのに、そのための措置をとらず、また、発破作業においても、発破時に切羽全面に濃厚な噴霧を行いながら発破をかける「噴霧発破」や、発破孔に水を入れたビニール袋を込めたり、高圧の水を注入しながら発破をかける方法を採用すれば粉じんの発生を相当程度抑制できるのに、これらの措置をとらなかった。そして、ずり掻き作業においては、スラッシャーによってずりを掻き寄せる前に十分な散水を行えば粉じんの発生を一定程度抑制でき、またずりの積込作業においても、事前に十分な散水を行えば粉じんの発生をある程度抑制できるのに、これらの措置を徹底させなかった。

イ 粉じん排出対策に関する義務違反

松尾採石所における被告日鉄の粉じん排出対策は全く不充分であった。すなわち、大量の粉じんが発生するのは、穿孔・発破が行われる切羽、ずり掻き作業が行われる各種坑道、積込作業が行われる積込坑道等の現場であるが、これらのうち粉じん排出設備があったのは、最下段の主要坑道及び切羽坑道だけで、屋根段と一段ないし三段の各坑道には粉じんを直接排出・除去するための設備はなんら設置されておらず、最下段のルーム坑道及び積込坑道の各掘進作業や積込作業等で大量に発生する粉じんについても、これを直接排出・除去する設備は何もなかった。松尾採石所に存在したのは、局部扇風機に風管を接続し、切羽付近で発生した粉じんを吸い出して排出する形態の設備であったが、右扇風機の設置場所は切羽から三〇メートル以上も離れており、その排出効果は極めて微弱であった。そして、扇風機に接続された風管は直接坑外に通じておらず、坑内の他の現場に粉じんを移動させるにとどまっていた。

ウ 粉じん遮断対策に関する義務違反

(ア) 前述のとおり、粉じんの発生・排出の段階において完全に粉じんを除去しえない以上、粉じん暴露時間を短縮する以外にじん肺罹患を防ぐ方法はないが、被告日鉄は暴露時間を短縮するなど粉じんの暴露量を安全量未満とするための措置をなんらとらなかった。

まず労働時間について、国際労働機関(以下「ILO」という。)は、松尾採石所と同様な坑内粉じん作業である炭坑内労働につき、三一号及び四六号の各条約において、労働時間を一日七時間四五分以内とし、週休を必ず守るように定めている。前述した日本産業衛生学会の許容濃度も一日八時間以内の労働を前提とするものである。しかるに松尾採石所においては、原告らの所定労働時間は七時から一五時まで(休憩一時間)の七時間、日曜日は休日と定められてはいたが、実際には、休憩時間中も坑内におり、毎月約四〇時間、毎日約二時間の残業手当が支給される残業が行われ、休日労働、深夜労働も頻繁に行われていた。

また、暴露時間を短縮する方法としては、例えば、坑内作業と坑外作業(坑外での砕石や平井工場での作業)を半日交替とするなどの方法が十分実施可能であったにもかかわらず、これらの方法を採用せず、さらに昭和五〇年以降にはじん肺有所見者が出たにもかかわらず、その後においても配置転換、時間短縮などの具体的対策を全く実施しなかった。

(イ) 防じんマスクを使用して粉じんの吸入を防止する場合には、使用者としては、〈1〉定期的に職場の暴露濃度を測定したうえで、その結果を労働者に対して知らせ、暴露濃度低減のための措置をとるとともに、〈2〉粉じん状況にあった防じんマスクを選択して労働者に与え、〈3〉労働者一人一人に対して漏れ検査を行って各人に適合するマスクを指示し、〈4〉使用後は毎日消毒、洗浄及び点検を行い、〈5〉清潔な保管場所を提供し、〈6〉濾過材及び面体を適宜に交換し、〈7〉労働者が正しい使用を行えるようにマスクの選択法、装着法、保守管理法、マスクによる呼吸保護の限界等を労働者に教育訓練しなければならないものというべきである。しかるに被告日鉄はこのような措置を全く講じていない。すなわち、被告日鉄は、昭和五一年ないし五五年ころになって初めて原告らに対してサカヰ式一〇〇三号型のマスクを支給したのであるが、同マスクが坑内作業用の一級品であるのに対し、それまで支給されていたサカヰ式一一七号は一般向けの二級品であり、その性能において明らかに劣るものであった。また面体は、使用時間五〇〇時間ないし一〇〇〇時間ごとに交換しなければならないものとされているが、被告日鉄が支給したのは、通算でサカヰ式一一七号型を三個、同一〇〇三号型を二個(原告岩元の場合)にすぎない。このような実情であるから、適合性の調査や装着教育等が全く行われなかったのはいうまでもない。

エ じん肺安全教育に関する義務違反

被告日鉄は、そのじん肺発生阻止義務を履行するために、松尾採石所で働くすべての労働者に対し、じん肺とはいかなる病気であり、どのように恐ろしい病気であるか、じん肺に罹患するのを予防するためには労働者としてどのような点に注意して作業するかなど、じん肺予防や健康管理のために必要な教育を実施すべきであったのにもかかわらず、これらの教育を一切行っていなかった。原告らは、就業開始時はもとより、松尾採石所で稼動していた期間中これらのじん肺教育を受けたことは一度もなく、被告日鉄が不十分ながらもこのようなじん肺教育を行い始めたのは、粉じん作業特別教育規定が制定された昭和五五年以降であり、原告らが松尾採石所を退所した後であった。

オ 健康管理対策に関する義務違反

じん肺法は、労働者を粉じん作業に従事させる事業者に対し、就業時健康診断、定期健康診断、定期外健康診断及び離職時健康診断を各実施するように義務づけている。しかるに被告日鉄は、原告らに対して就業時間健康診断を実施せず、原告らに対して初めてじん肺健康診断を実施したのは昭和四七年一二月に至ってからであった。また、昭和四七年以降は、昭和五〇年と昭和五三年にじん肺健康診断が実施されたが、昭和五〇年の健康診断において原告岩元と原告後藤がそれぞれじん肺健康管理区分の管理二と同管理三の診断を受けたのであるから、被告日鉄としては、じん肺法の制定に基づき、じん肺有所見者である同原告らに対して、毎年一回のじん肺健康診断を実施すべきであったにもかかわらず、その後は昭和五三年に至るまでこれを実施しなかった。そして、昭和五〇年の時点で同原告らのようなじん肺有所見者が認められたにもかかわらず、被告日鉄はなんら積極的な粉じん防止対策をとらなかったため、昭和五五年のじん肺健康診断においては、原告岩元がじん肺管理区分の管理四の診断を受け、原告菊池も同管理二の診断を受けることとなり、さらに被告日鉄の直轄か否かを問わず、松尾採石所で粉じん作業に従事する労働者の中に多数のじん肺有所見者が発生し、じん肺患者数の点でも、患者の症状の点でも、一層事態の悪化を生じさせるに至ったのである。

3 被告菅原の責任

原告らと直接の雇用契約関係にある被告菅原が、原告らに対してじん肺発生阻止義務を負うことはいうまでもない。同被告は、被告日鉄に指示されるままに、粉じんが充満する松尾採石所の坑内でただ一般向けの防じんマスクを与えただけで原告らを毎日一〇時間以上も働かせ、なんらのじん肺教育を行わなかったことは前述したところから明らかであり、また、独自にはなんらの粉じん発生抑制策も粉じん排出策も講じておらず、被告日鉄に対してこれに関する意見具申をしていないことも明らかである。要するに、被告菅原は、じん肺の発生阻止に向けて全く何もしなかったし、また、これをする立場にもなかったのであって、じん肺発生阻止義務に違反したことは明白である。

五  原告らの損害

1 じん肺に罹患した患者が受ける精神的苦痛には、次のような共通の事情(以下「慰藉料算定の共通事情」という。)があるから、原告らの慰藉料を定めるにあたっては、これらの事情を原告ら各自の後記個別事情とともに斟酌すべきである。

(一) 被害の程度・態様の重大性

じん肺は、前述したとおり、肺という生命維持の中枢器管が侵される病であり、その被害は全身に及ぶ。正に生命維持の基本である肺と心臓という重要な部位に重大な機能障害を与えるのがじん肺である。また、交通事故や一過性の労災事故と異なり、じん肺の場合には、治癒ないしは症状の固定がないという点に特徴があり、通常の意味での後遺症という概念はそもそも適用の余地がない。じん肺患者は、治癒のあてのない長期間に及ぶ療養生活を強いられるのであり、そうした生活のなかで味わう苦痛は想像を超えるものがある。

(二) 予後への絶望感

自分の病気がじん肺であることを知り、治療方法がなく、座して死を待つよりほかない疾病であることを知ったとき、誰もが例外なく言い知れぬ絶望感に襲われる。じん肺に罹患したという事実を突きつけられることは、患者にとっては死刑の宣告を受けるに等しいのである。

(三) 労働不能による社会的疎外感

原告らがじん肺に罹患し稼動不能となったのは、五〇歳前後の若さであり、これ以後労働ができないということを突きつけられたときに受けた精神的な辛さは、肉体的苦痛に劣らぬ深刻なものであった。殊に、元来人一倍身体頑健であった原告らにとって、同世代の者が社会の第一線で働き盛りで頑張っているのを見ながら、みずからは全く働くことができず無為な日々を過ごさなければならないというのは耐え難いことである。原告らに社会的疎外感をもたらすのは、こうした労働不能のみに限られるわけではなく、近隣との付き合い、時には親戚との付き合いにすら溶け込めないことによる原告らの孤独感にも大きいものがある。

(四) 家族への負い目

常にじん肺症に苦しみ、一家の支柱としての責任を果たすことができないという原告らの辛さは、家族への負い目となり、みずからに対するいらだちとともに、周囲の者に対するひがみとなって現れる。理由もなく家族に八つ当りしてしまうこともある。

(五) 被告らの犯罪性・劣悪な作業環境

被告らは、じん肺患者の発生を早くから予見していながら、利潤追求のため、じん肺防止策を講ぜず、原告らに対して多大なじん肺被害をもたらした。防じんマスクの支給一つをとってもその侵害行為は悪質である。原告らの作業環境の劣悪さは前述したとおりであるが、被告らの安全配慮義務違反により原告らの受けた被害はじん肺に限らない。削岩、発破時の轟音に対し、被告らはなんらの安全対策をとらなかったため、原告らは全員が難聴に罹患し、その後遺症にも苦しんでいる。

2 原告岩元

(一) 逸失利益

原告岩元は、昭和五五年六月一六日からじん肺の悪化により休業を余儀なくされ、翌一七日西多摩病院においてじん肺管理区分の管理四の診断を受け、同年八月一五日には東京労働基準局長から同管理四の決定を受けた。したがって、原告岩元は、遅くとも昭和五五年六月一六日にはその労働能力を完全に喪失したものというべきであるが、同原告の昭和五四年一月から同年一二月までの賃金の合計額は四三六万五一六二円であるから、同原告の逸失利益は次のとおり七〇七〇万一一五七円となる。

(1) 昭和五五年六月一六日から平成二年一月二三日までの逸失利益

ア 昭和五五年六月一六日から同年一二月三一日まで

4,365,126×199/365=2,379,891

イ 昭和五六年一月一日から平成元年一二月三一日まで

4,365,126×9=39,286,134

ウ 平成二年一月一日から同年一月二三日まで

4,365,126×23/365=275,063

(2) 平成二年一月二四日以降の逸失利益

原告岩元は、昭和五年一〇月八日生まれで平成二年一月二四日には五九歳であり、その就労可能年数は六七歳に至るまでの八年間であるから、新ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除してその逸失利益を算定すると、次のとおり二八七六万〇〇六九円となる。

4,365,126×6.5886=28,760,069

(3) (1)と(2)の合計額 七〇七〇万一一五七円

(二) 慰藉料 三〇〇〇万円

原告岩元がじん肺に罹患したことにより被った精神的苦痛を慰藉するためには、慰藉料算定の共通事情のほか、同原告がじん肺管理区分の管理四の決定を受けたのが四九歳であったこと、同原告が働けなくなったため、長男も次男も進学を断念せざるをえなくなり、また、娘の嫁入りの支度もしてやれなかったため、今も子供達にすまない気持で一杯であること、同原告の妻は、無理して働いたため急性肝炎を患ったが、同原告が入院しているため自分は入院できなかった等の事情があるから、少なくとも三〇〇〇万円の支払を要するものというべきである。

(三) 弁護士費用 一〇〇〇万円

(四) 本訴請求額 (一)ないし(三)の合計額の内金八〇〇〇万円

3 原告菊池

(一) 逸失利益

原告菊池は、松尾採石所退所後の昭和五六年一〇月三日西多摩病院においてじん肺管理区分の管理三ロ及び続発生気管支炎の合併症との診断を受けたが、同年一一月二五日には東京労働基準局長から同管理三イ及び続発性気管支炎の合併症を受けて療養を要するものとされ、さらに昭和六三年一一月一〇日には同局長から同管理四の決定を受けた。したがって、原告菊池は遅くとも西多摩病院においてじん肺管理区分の管理三ロ及び続発生気管支炎の合併症との診断を受けた昭和五六年一〇月三日にはその労働能力を完全に喪失したものというべきであるが、同原告の昭和五五年一月から同年一二月までの賃金合計額は三六九万六六〇五円であるから、同原告の逸失利益は次のとおり五二四三万二二三六円となる。

(1) 昭和五六年一〇月三日から平成二年一月二三日までの逸失利益

ア 昭和五六年一〇月三日から同年一二月三一日まで

3,696,605×90/365=911,492

イ 昭和五七年一月一日から平成元年一二月三一日まで

3,696,605×8=39,572,840

ウ 平成二年一月一日から同年一月二三日まで

3,696,605×23/365=232,937

(2) 平成二年一月二四日以降の逸失利益

原告菊池は、昭和四年六月一八日生まれで平成二年一月二四日には六〇歳であり、その就労年数は六七歳に至るまでの七年間であるから、新ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除してその逸失利益を算定すると、次のとおり二一七一万四九六七円となる。

3,696,605×5.8743=21,714,967

(3) (1)と(2)の合計額 五二四三万二二三六円

(二) 慰藉料 三〇〇〇万円

原告菊池がじん肺に罹患したことにより被った精神的苦痛を慰藉するためには、慰藉料算定の共通事情のほか、同原告が働けなくなったため、長男が進学を断念し、妻が男性にまじって働き、夜も内職をしているのを見るにつけ、働けない自分が歯痒く、それが家族への負い目となっていること等の事情から、少なくとも三〇〇〇万円の支払を要するものというべきである。

(三) 弁護士費用 一〇〇〇万円

(四) 本訴請求額 (一)ないし(三)の合計額の内金五五〇〇万円

4 原告後藤

(一) 逸失利益

原告後藤は昭和五六年一〇月五日珪肺労災病院職業病検診センターにおいてじん肺管理区分の診断を受け、同月三一日には栃木労働基準局長から同管理四の決定を受けた。したがって、原告後藤は、遅くとも昭和五六年一〇月五日にはその労働能力を完全に喪失したものというべきであるが、同原告の昭和五五年一〇月から昭和五六年九月までの賃金の合計額は四二〇万一四三六円であるから、同原告の逸失利益は次のとおり五九五六万九六七九円となる。

(1) 昭和五六年一〇月五日から平成二年一月二三日までの逸失利益

ア 昭和五六年一〇月五日から同年一二月三一日まで

4,201,436×88/365=1,012,948

イ 昭和五七年一月一日から平成元年一二月三一日まで

4,201,436×8=33,611,488

ウ 平成二年一月一日から同年一月二三日まで

4,201,436×23/365=264,748

(2) 平成二年一月二四日以降の逸失利益

原告後藤は、昭和四年三月八日生まれで平成二年一月二四日には六〇歳であり、その就労可能年数は六七歳に至るまでの七年間であるから、新ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除してその逸失利益を算定すると、次のとおり二四六八万〇四九五円となる。

4,201,436×5.8743=24,680,495

(3) (1)と(2)の合計 五九五六万九六七九円

(二) 慰藉料 三〇〇〇万円

原告後藤がじん肺に罹患したことにより被った精神的苦痛を慰藉するためには、慰藉料算定の共通事情のほか、同原告は、妻カツも多くの病気を抱えているので努めて明るくするようにしているが、孫が遊びに来ても抱いてやることもできず、また地域の活動も何一つできず、疎外感、孤独感が増すばかりであること等の事情があるから、少なくとも三〇〇〇万円の支払を要するものというべきである。

(三) 弁護士費用 一〇〇〇万円

(四) 本訴請求額 (一)ないし(三)の合計額の内金七〇〇〇万円

5 遅延損害金の起算日について

債務不履行責任については、訴状送達の日の翌日から遅延損害金の請求をするのが一般であるが、原告らは、本訴においてそれぞれの被害が明確になった日(原告岩元につき昭和五五年六月一六日、原告菊池につき昭和五六年一〇月三日、原告後藤につき同年一〇月五日)から遅延損害金の請求をするものである。本件は、被告らの不法行為責任と債務不履行責任とが競合するものであり、原告らが被告らの債務不履行責任を追及するからといって、遅延損害金の発生時期をその請求の意思が被告らに到達した後であると機械的に解することは正しくない。訴状の提出に至るまでの間にも、原告岩元は被告らに対して賠償を求めて交渉をしているし、原告菊池及び原告後藤においても長期に及ぶ準備期間を要しているのであるから、遅くとも原告らの被害が明確になった日から被告らは遅延損害金の支払義務を負うものというべきである。

六  まとめ

以上述べたとおり、原告らのじん肺罹患は被告らの安全配慮義務違反(債務不履行)によるものであるが、被告らの右行為は不法行為にも該当するので、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償として、被告ら各自に対し、原告岩元八〇〇〇万円及びこれに対する昭和五五年六月一六日から、原告菊池は五五〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一〇月三日から、原告後藤は七〇〇〇万円及びこれに対する同年一〇月五日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第二  請求原因に対する認否

(被告日鉄)

一 請求原因一1(一)(被告日鉄)、2(二)ないし(三)(原告ら)の事実は認める。

二1 同二1(松尾採石所のしくみ)の事実のうち、被告日鉄が昭和四二年一〇月に松尾採石所を設置しその経営にあたってきたこと、同採石所における採石権を同被告が有していることは認めるが、その余の事実は否認する。

被告日鉄は、松尾採石所における採石作業について、被告菅原と本件基本契約を締結し、これに基づき同被告に対し工事を請け負わせていたものである。

2 同二2(松尾採石所における作業の内容と作業環境)の事実のうち、坑内作業の主なものとして、坑道掘進作業、立坑掘進作業、長孔穿孔作業、ダンプカーへの積込作業、小割作業、砕石運搬作業、発破作業があることは認めるが、その余の事実はいずれも否認する。

3 同二3(劣悪な労働条件と健康管理の実態)の事実はいずれも否認する。

三 同三1(じん肺の病像)、2ないし4(原告らのじん肺罹患の経過とその被害)の事実はいずれも不知。

四 同四(被告らの責任)の主張はいずれも争う。

五 同五(原告らの損害)の主張はいずれも争う。

(被告菅原)

一 請求原因一1(二)(被告菅原)、2(一)ないし(三)(原告ら)の事実は認める。

二1 同二1(松尾採石所のしくみ)の事実は不知ないし否認する。

2 同二2(松尾採石所における作業の内容と作業環境)の事実のうち、坑内作業の主なものとして、坑道掘進作業、立坑掘進作業、長孔掘進作業、ダンプカーへの積込作業、小割作業、砕石運搬作業及び発破作業があることは認めるが、その余の事実はいずれも否認する。

3 同二3(劣悪な労働条件と健康管理の実態)の事実はいずれも否認する。

三1 同三1(じん肺の病像)の事実は不知。

2 同三2(原告岩元のじん肺罹患の経過とその被害)の事実のうち、原告岩元が昭和五五年八月一五日付で東京労働基準局長からじん肺管理区分の管理四の決定を受けたことは認めるが、その余の事実は不知ないし否認する。

3 同三3(原告菊池のじん肺罹患の経過とその被害)の事実のうち、原告菊池が昭和五五年九月三〇日に東京労働基準局長からじん肺管理区分の管理二の決定を受け、昭和五六年一〇月二五日に同管理三イ及び続発性気管支炎の合併症との決定を受けて療養を要するものとされたことは認めるが、その余の事実は不知ないし否認する。

4 同三4(原告後藤のじん肺罹患の経過とその被害)の事実のうち、原告後藤が昭和五六年一〇月三一日付で栃木労働基準局長からじん肺管理区分の管理四の決定を受けたことは認めるが、その余の事実は不知ないし否認する。

四 同四(被告らの責任)の主張はいずれも争う。

五1 同五1の主張は争う。

2 同五2(原告岩元の損害)の主張のうち、原告岩元が昭和五五年八月一五日付で東京労働基準局長からじん肺管理区分の管理四の決定を受けたことは認めるが、その余の主張は否認ないし争う。

3 同五3(原告菊池の損害)の主張のうち、原告菊池が昭和五五年九月三〇日に東京労働基準局からじん肺管理区分の管理二の決定を受け、昭和五六年一〇月二五日に同管理三イ及び続発性気管支炎の合併症との決定を受けて療養を要するものとされたことは認めるが、その余の主張は否認ないし争う。

4 同五4(原告後藤の損害)の主張のうち、原告後藤が昭和五六年一〇月三一日付で栃木労働基準局長からじん肺管理区分の管理四の決定を受けたことは認めるが、その余の主張は否認ないし争う。

5 同五5(遅延損害金について)の主張は争う。

第三  被告らの主張

(被告日鉄)

一 使用関係の不存在

原告らと被告日鉄との間には、契約上の雇用関係はもとより、次のとおり、実質的な使用関係もないから、被告日鉄が原告らに対して損害賠償義務を負うことはない。

1 松尾採石所における各種作業の分担

(一) 松尾採石所における採石方法は、いわゆる露天掘りとは異なり、山中に運搬のための主要坑道を掘進したうえで、これに接続して運搬・通気等各種用途に適した坑道を掘り進め、いわゆる中段採掘法により砕石を行ってこれを坑外へ搬出する方法である。

(二) ところで、生産作業を継続的に行うには順次新たな鉱画を作っていく必要があり、このため生産作業と並行して各種の準備作業を行う必要があるが、松尾採石所においては、昭和四〇年七月以降採石のための準備作業(開坑、坑道掘進、通気立坑開坑等)を開始し、昭和四二年一〇月ころから右作業準備作業と並行して生産作業を開始するに至った。

(三) 準備作業と生産作業の主要種目は次のとおりである。

(1) 準備作業

ア 主要坑道、切羽坑道、積込坑道、ルーム坑道、中坑、サブ坑道等の掘進作業

イ 通気立坑、ずり坑井、スロット切り上がり等の立坑掘進作業

ウ 掘進ずりの積込み、運搬作業

エ その他雑作業

(2) 生産作業

ア 長孔穿孔及び長孔発破作業

イ 採掘原石の小割作業

ウ 採掘原石の積込み、運搬作業

エ その他雑作業

(四) 右準備作業は、当初株式会社熊谷組が一括して請け負い、開坑当初から昭和四三年一月までは熊谷組及びその下請けである陸丸工業が、その後昭和四四年五月までは被告菅原代表者の兄である菅原俊雄の経営する合名会社菅原工業(以下「訴外菅原工業」という。)がこれを行ってきた。そして、右準備作業が進行し採石作業が開始された昭和四二年一〇月ころから被告日鉄の従業員が右生産作業に従事するに至った。

(五) 以上のとおり、松尾採石所においては、開坑してから坑口閉鎖に至るまで、原則として請負業者が準備作業を担当し、被告日鉄は生産作業に従事していたのである。

2 実質的使用関係の不存在

(一) 実質的な別法人

被告日鉄と被告菅原とは形式的にも実質的にも別個の法人である。すなわち、両被告は役員、株主、出資金等の関係においてもなんらの同一性がなく、また、経理面においても截然と区別され全く一体性、密着性をもたない。被告菅原は、昭和四四年六月に被告日鉄との間で本件基本契約を締結した当時においても、出資金三〇万円、従業員一三人を有した独立企業であり、被告日鉄の実質的一部門などとは到底いえないものである。

(二) 原告らの給与、待遇等

被告日鉄は、請負業者との間で請負工事単価を定め、毎月の完了工事量に応じて請負代金を支払っていたものである。したがって、請負業者が従業員にどのような単価、条件で給与を支払うかについては、被告日鉄の関与するところではなく、すべて請負業者がこれを決定して支払っていたのである。また、就業時間その他の勤務条件についても、被告ら間の請負契約とは別に、請負業者とその従業員との間で取り決めがなされており、被告日鉄が請負業者を除外して直接その従業員に対して勤務内容の変更を命ずるようなことはなかった。

(三) 人事面の区別

被告らの間には、社員の出向、役員の兼務等人事面の交流はなく、この点においても両被告は全く別個の企業体であった。

(四) 請負契約の存在及びその内容

被告日鉄は、開坑作業に着手した当時、請負業者である熊谷組との間で前記準備作業について工事請負基本契約を締結し、昭和四四年六月には被告菅原と本件基本契約を締結したものであるが、その下請業者らとの間では特段の契約を締結せず、すべて請負業者の責任において下請業者を指導監督させ、請負業務を履行させるようにしていた。右基本契約中においては、「請負工事施工中は常に請負業者代表者本人又は同代理人が現場に出頭して工事の指揮をすること」と定められていたが、実際の作業現場においても、この規定に基づいて請負業務の履行がなされていたのである。

(五) 工事用機器、材料等に関する負担の取り決め

工事用機器、材料等の負担に関しては本件基本契約において明確に定められていた。右契約において、坑道掘進用の火薬類、削岩機のロッド、ビット、防じんマスク、マスクフィルター、作業衣、合羽、資材運搬車等、準備作業に要する資材類は請負業者が負担するものと定められており、被告日鉄が請負業者に貸与したものは、ダンプトラック、スラッシャー、タイヤショベル、コンプレッサー、湿式削岩機、局部扇風機等の大型機器のみである。

(6) 事務所、番割、送迎方法等

事務所は、請負業者と被告日鉄とで各別に設置され、請負業者は毎朝番割の際に必要な指示を従業員らに伝え、従業員らはこれを受けて当該持ち場においてその労務に従事した。また、従業員の朝夕の送迎については、請負業者がみずからのマイクロバスを使用して行っていた。

したがって、被告日鉄が請負業者と協議した事項又は請負業者に対する指示事項は、通常番割の際に、請負業者の代表者又はその代理人から滞りなく従業員らに伝達され、同被告から直接請負業者の従業員らに対して指示することはなかった。

3 請負業者の従業員に対する指導監督

被告日鉄が直接に原告ら請負業者の従業員に対して作業上の指揮監督を行うということはなく、請負工事に関する注文事項の伝達はすべて同被告と請負業者との間で行われたものである。ただし、安全衛生の確保・管理については、同被告の従業員と請負業者の従業員とで区別はなく、坑内で働く者であれば何人であれ、危険不安を感じた際には迅速に対処すべきものであるから、例えば、同被告の担当者が安全点検のために坑内巡視を行っていた際、浮石等の危険を発見した場合などには、それが請負業者の担当する作業現場であっても、いったん担当の請負業者の事務所へ通知する等の緩慢な処置は許されず、同人が速やかに除去するか、あるいは当該現場に居合わせた請負業者の従業員に右事実を直接伝えるとともに、直ちに善処するよう連絡することとなる。右のような処置の必要性は、散水や防じんマスクの着用等を怠っていた場合でも同様であり、このような場合にも同様の処置がとられていた。

二 安全配慮義務の履行

1 粉じん濃度の測定

(一) 粉じん発生の不可避性

坑内作業においては、削岩、発破、積込み等の作業により、粉じんが不可避的に発生するものであって、これを完全に抑制することは物理的にも技術的にも困難である。また、作業者の粉じん吸入を防止するために考えられる措置(例えば、防じんマスク、隔離、遠隔操作等)もいまだ技術的な限界があるばかりでなく、坑内環境の特殊性から生じる種々の条件によって制約されるのが実情である。

(二) 我が国におけるじん肺防止対策の基本的な考え方

我が国においては、じん肺防止対策上の最も基本的な施策として、じん肺法又は障害防止規則等においていわゆる「粉じん作業」を規定し、じん肺を起こすおそれのある作業を列挙することによって、じん肺防止上の必要な対策・管理を行うこととしている。しかしながら、じん肺は、多量の粉じんを長期間吸入することによって起こりうるとされる疾病であるから、これを防止するためには、むしろ、じん肺発症の危険に関する客観的基準として「有害な粉じん濃度」又は「危険な暴露期間」が規定されることが望ましいのではあるが、この点については、後述するとおり、粉じん濃度の測定一つをとってみても極めて困難な問題があり、我が国のみならず諸外国においてもいまだ客観的な基準が確立されていないのが現状である。

(三) 我が国における粉じん測定の技術とその問題点

(1) 粉じん濃度測定の実態とその問題点

粉じん濃度の測定結果により作業環境の管理を行うとすれば、その前提として、粉じん測定の技術(測定方法、測定器、測定値の評価方法)が確立され、測定した粉じん量に応じた作業環境管理が可能でなければならないが、我が国においては、現在まで多くの粉じん測定器が開発されてはきたものの、各機種ごとに表示方法が異なり測定値の比較評価に一貫性がなく、また、測定方法による差異、測定器間の器差、測定者による誤差などがあって、信頼のできる測定値を得ることは困難であった。

粉じん濃度の測定は、我が国においては比較的歴史が浅く、広く企業において測定が実施されるようになったのは、昭和四七年に制定された労働安全衛生法において、坑外の屋内作業場に関する粉じん濃度の測定義務が規定されてからである。また、測定方法についての一応の基準ができたのは、昭和五〇年代に入って作業環境測定法関係の諸法令が制定されてからであり、さらに、測定器についても、現在まで種々考案され長足の進歩をみたとはいえ、その時代時代において基準となりうる測定器が定められたことはなかった。

(2) 坑内における粉じん測定

坑外の屋内作業場については、前述のとおり、粉じん濃度の測定義務が規定されたが、坑内作業場については、現在もなお右義務の対象外となっている(したがって、松尾採石所の坑内作業についても法規上粉じん濃度の測定義務は存在しない。)。これは、坑内作業が一般の坑外の屋内工場等とは異なって長大な空間を有するため、粉じんの濃度が時間的又は空間的に一定しておらず、その測定方法を定めるのが困難であるからである。

さらに、坑内における濃度測定には、その特殊環境のため、次のような問題点があり、測定をより困難にしている。すなわち、〈1〉粉じん発生源が日々移動し、測定値の比較評価が困難である、〈2〉通気による風速のため、計測器への流入量にばらつきを生じる、〈3〉坑内の湿度のため、水ミストが粉じんとして計測される、〈4〉狭隘な場所では測定器の種別・測定方法が制約される等である。

(四) 松尾採石所における粉じん測定

(1) 被告日鉄は、昭和二〇年代から粉じん測定技術の指導・教育を行い、各事業所の粉じん測定を実施してきた。松尾採石所においても、開坑以来適宜坑内の粉じん濃度を測定し、坑内作業環境の実態を把握するとともに、良好な作業環境を維持することにより従業員の健康管理に努力してきた。もとより、粉じん濃度の測定技術は、前述のように時代的に変遷があったため、測定方法やその対応には時代時代で異なったものがあったが、測定結果については、各時期における衛生工学及び医学的知見に基づいて判断し、粉じん防止対策を推進してきたのである。

(2) 松尾採石所における粉じん濃度測定の実態は次のとおりである。

ア 測定箇所と測定点

松尾採石所においては、坑道掘進作業、長孔穿孔作業、積込み・運搬作業及び小割作業等の各種作業が行われていたが、これら各作業箇所における粉じん濃度を的確に把握するため、被告日鉄は適宜適切な測定点を設定して粉じん濃度の測定を実施してきた。すなわち、坑道掘進作業については、穿孔作業箇所、当該坑道の途中箇所及びずり坑井周辺、長孔穿孔作業については、長孔穿孔箇所及び当該穿孔坑道等、積込み・運搬作業については、積込箇所及び運搬坑道等、小割作業については、小割穿孔作業箇所等である。そして、各作業箇所ごとに測定点を五地点ないし一〇地点設け、当該作業箇所の平均的な粉じん濃度を把握していた。

イ 測定の時間帯

測定は、通常の作業が行われている時間帯に行い、実態の把握を行った。

ウ 測定実施者

測定は、通常坑内係員又は採石係長が行ったが、新しい測定器の使用方法・測定技術の指導・教育のため、本社環境・保安部の係員が現場に赴いて測定したこともあった。

エ 測定頻度

測定は、毎年二回ないし三回行っていたが、通気設備の設置又は新たな作業箇所に進展した場合などは必要に応じて測定を実施した。

オ 測定器

粉じん濃度測定器は、前述のとおり、時代とともに多くの種類の測定器が製作されてきたが、松尾採石所においては、時代に応じて次の三種類の測定器を使用した。

(ア) 開坑から昭和四四年まで

チンダロスコープ。これは昭和三〇年代から金属鉱山の坑内等で広く使用されていたもので、浮遊する粉じんを捕集してこれを光にあて、発生する散乱光の強さによって粉じん濃度と一定の相関関係にある粉じんの物理量を測定する測定器である。したがって、計測した測定値そのものが粉じんの個数や重量を示すものではなく、いわゆる相対濃度を示すものである。

(イ) 昭和四四年から昭和五二年まで

デジタル粉じん計P-3。これもチンダロスコープと同様、粉じんの散乱光の強さを測定し、粉じん濃度と一定の相関関係にある粉じんの物理量を測定するもので、相対濃度を示すものである。

(ウ) 昭和五三年から昭和五七年まで

ローボリウムエアーサンプラー及びデジタル粉じん計P-5。前者は、多段分粒装置により粗大粒子を除いた吸入性粉じん(七・〇七ミクロン以下の粒子をいう。)を捕集し、これを秤量して捕集した粉じんの質量を求め、吸引空気量との関係から粉じんの質量濃度を算出するものである。そして、これと同一地点において測定したデジタル粉じん計の測定値との相関関係を求め、他の各測定点を簡便なデジタル粉じん計のみで計測できるようにするのであるが、このような並行測定の方法は、昭和五一年に作業環境測定基準(同年四月二二日労働省告示第四六号)が示されて以来広く行われるようになったものである。

以上三種の測定器は、いずれもその時代時代において、坑内の粉じんを測定するのに最適と目される測定器であった。

カ 遊離けい酸分析

昭和四七年制定の労働安全衛生規則においては、坑外の屋内作業場における遊離けい酸含有率の測定が義務づけられているが、松尾採石所では、開坑当初から自社の研究所及び作業環境測定機関に委嘱して遊離けい酸分析を行ってきており、坑内における粉じん測定結果の評価を実施していた。

2 粉じん抑制・希釈排出措置

(一) 坑内通気

被告日鉄は、松尾採石所における坑内採掘現場に適正な通気系統を確立しており、各坑内作業箇所には十分な通気が供給されていた。

(1) 坑内通気システム

ア 通気の目的

坑内採掘において通気を確保する主たる目的は、作業者の呼吸に必要な空気を供給し、発破により発生する跡ガス及び粉じん等を希釈・排出することにある。

イ 通気の方法

一般に通気の方法は、通気の供給手段により自然通気と強制通気(機械通気)とに分けられ、また、入排気坑口の相対的位置関係により中央式通気と対偶式通気とに分けられる。

(ア) 自然通気と強制通気

自然通気とは、入気のための坑口と排気のための坑口とを各別に設けて、入排気坑の高低差や坑内外の温度差・気圧差等により空気の流通が自然に行われる原理を利用したものであるが、我が国の金属鉱山においては、主要通気としてこの方法によっているところが少なくない。また、強制通気とは、扇風機により強制的に坑内に空気を送り込む方法であり、吹込式と吸出式とがあるが、我が国の坑内採掘場においては、主要通気として強制通気を行う場合には、排気坑口に主要扇風機を設置して坑内の空気を吸い出し、入気坑口から空気の流入を促す方法によっているのが一般である。

(イ) 中央式通気と対偶式通気

中央式通気と対偶式通気は、入排気坑口を設ける相対位置関係により通気系統を分類するものであり、前者が入気坑口(入気坑道)と排気坑口(排気坑道)とが接近しているものであるのに対し、後者はそれらが遠く離れて設置されているものである。そして、概して、我が国の炭鉱においては中央式通気が多く、金属鉱山においては対偶式通気が多いのが実情である。

(ウ) 坑内において右のいかなる通気方法を採用するかについては、坑内外の種々の条件(温度、湿度、気圧、通気抵抗、地形等)が影響するため、これらの諸条件を考慮して決定することとなるが、これと同時に、開さくから採掘終了に至るまでの長期的な展望が要求されるため、計画的な設計及び管理が要求されることになる。一方、坑内は、多くの坑道と分散した多数の切羽とで構成されているため、入気流を分割配分して必要箇所に供給する必要があり、通気を主要通気(入気坑口から坑内に流れ込むメインの通気であり、自然通気又は大型扇風機による強制通気によって供給される。)、局部通気(局部的に通気の流通が緩慢な箇所に対して小型の扇風機、風管、又はエアー通気等によって通気の分配・流通を図るものであり、前述のように吹込式と吸込式がある。)及び補助通気(坑内において部分的に通気抵抗が大きい箇所について主要通気を補助し、又は通気の流通速度を高めるために行われるものであり、小型の扇風機を用いるものである。)に区分して、それぞれの目的に応じて通気施設を設ける必要がある。

(エ) 坑内の通気は、主として右主要通気、局部通気及び補助通気の方法により扇風機等の設備を用いて各作業箇所に分割供給されるのであるが、無計画にこれらの扇風機等を稼働させても実効性が上がらないため、通気系統をできるだけ単純化させるとともに、不要な箇所への通気を遮断し、又は必要に応じた通気量に分流することによって、本来的に必要な箇所への通気量を確保することが可能となる。そして、このような通気系統、通気量の調整のために、風門、分量門又は密閉設備等の通気施設が必要となるのである。

(2) 松尾採石所における坑内通気

ア 主要通気

(ア) 主要通気の供給手段と通気系統

被告日鉄は、松尾採石所において昭和四〇年七月の開さく以来順次三本の通気立坑を開さくし、それぞれに主要扇風機を設置して強制通気を行ってきた。右各主要扇風機の設置位置は、坑内を垂直に上っている通気立坑が貫通する山腹にあり、右主要扇風機により坑内の空気を吸い出すことによって最下部にある坑口を入気坑とし通気立坑を排気坑とする対偶式通気が有効に機能していた。

(イ) 通気立坑

被告日鉄は、採掘が進展した場合でも常に最適な作業環境が維持されるように綿密な計画のもとに通気立坑を設置していた。したがって、各通気立坑の設置箇所は、開さく時期における通気範囲に限らず、将来の通気範囲をも考慮して最も適切な位置が選択されていた。すなわち、第一通気立坑(立坑の断面二メートル×二メートル、高さ約一八〇メートル)は昭和四一年四月から開さくを始め、同年八月に貫通したものであるが、その開さく位置は坑口から約三三〇メートル入った地点であり、主としてその周辺部に位置するSの一鉱画ないし四鉱画及びNの一鉱画ないし四鉱画の通気を確保した。第二通気立坑(立坑の断面二メートル×二・七メートル、高さ約一五〇メートル)は昭和四八年三月から開さくを始め、同年七月に貫通したものであるが、その開さく位置はEの一、二鉱画とWの一、二鉱画の中間であり、主としてこれらの鉱画の通気を確保した。第三通気立坑(立坑の断面二メートル×二・七メートル、高さ約二三〇メートル)は昭和五一年二月から開さくを始め、同年七月に貫通したものであるが、その開さく位置はSの五鉱画及びNの五鉱画の奥部であり、主として右各鉱画より奥部の採掘を行うための通気を確保した。そして、これらの通気立坑により通気を行う範囲は、右各鉱画のみに限定されることなく、採掘状況、通気状況等の変化に応じ適宜主要扇風機を同時に稼働させて当該作業箇所に十分な通気量が確保されるようにしていた。

なお、第一通気立坑は、後述する第三通気立坑の主要扇風機設置に伴い閉鎖密閉し、通気の短絡を防止した。

(ウ) 主要扇風機

松尾採石所においては、前記第一通気立坑ないし第三通気立坑にそれぞれ主要扇風機を設置して強制通気を行ったが、各主要扇風機の設置時期と能力は次のとおりである。すなわち、第一通気立坑の主要扇風機は昭和四二年一二月に設置され、その能力は一五〇馬力、風量は毎分二五〇〇立方メートルであった。また、第二通気立坑の主要扇風機は昭和四八年七月に設置され、その能力は三〇馬力、風量は毎分一〇〇〇立方メートルであった。そして、第三通気立坑は昭和五三年六月に設置され、その能力は七五馬力、風量は毎分二五〇〇立方メートルであった。

(エ) 風門及び分量門

通気系統及び通気量調整のため、必要に応じて風門又は分量門を設置し、また坑道や鉱画の密閉を行った。すなわち、第一通気立坑ないし第三通気立坑の最下部(入口)には、ビニールシート等により風門(遮断幕)を設けて、坑口からの入気が直接通気立坑に排出することなく各作業箇所に分流するよう措置を施し、上段レベルの中坑には、分量門(坑道を板で覆った風門の一部を開けたもの)を設けて通気量の調整を図った。また、各採掘鉱画は採掘の終了によって空洞となるが、不要な通気が採掘後の空洞に流入しないように、空洞の入口をコンクリートで密閉し通気の短絡を防止した。そして、これらの諸措置により、主要通気が採掘終了後の鉱画等に流入することが防止され、必要な箇所のみに供給されることとなっていたので、いずれの時期においても主要通気の経路は極めて単純なものとなっていた。

イ 局部通気

松尾採石所における局部通気は次の方法により行っていた。

(ア) 最下部レベルの主要坑道及び切羽坑道の坑道掘進作業においては、局部扇風機を設置しこれに風管を接続して局部通気を行い、削岩、積込み、発破時を問わず、作業中常時これを稼働させていた。右局部扇風機は、掘進切羽から約一〇メートル離れた坑道側壁の上部に固定され、吸出方式により吸い込んだ切羽周辺の空気を風管で導いて、最も適切な排出箇所に排出するようにしていた。また、発破時には、右局部扇風機に加え、必要に応じ削岩機のエアーホースを取り外してエアーを吹かし、粉じん及び跡ガス等の希釈・排出を促進した。

(イ) 上段レベルの中坑及びサブ坑道の坑道掘進作業においては、発破時は、最下部レベルと同様に、エアーを吹かして粉じん及び跡ガス等の希釈・排出を行った。

(ウ) 局部扇風機

松尾採石所では、五馬力ないし二〇馬力の局部扇風機により、掘進切羽において毎分二〇〇立方メートルないし四五〇立方メートルの通気量を確保し、局部通気に支障がないように努めた。局部扇風機の保有数は時期により異なるが、概ね、五馬力のものが一、二台、一〇馬力のものが一台ないし三台、二〇馬力のものが一、二台であった。

(エ) 風管

局部扇風機に接続する風管は、ビニール製のもので、その直径は六〇センチメートル、一本の長さは五メートルであった。局部通気は、右風管を何本も継ぎ合わせ、その一方を局部扇風機に接続し、他方を排出箇所に設置する方法によって行っていた。

(オ) エアー通気

エアーを動力とする削岩機及びスラッシャーの排気量は、概ね、掘進用削岩機で毎分約一五立方メートル、長孔削岩機で毎分約四〇立方メートル、スラッシャーで毎分約三〇立方メートルないし四〇立方メートルである。一般に、人間が呼吸するのに要する空気量は、多くて毎分〇・〇四立方メートルないし〇・〇五立方メートルといわれており、これと比較すれば、右エアー通気により十分な通気量が確保されていたことは明らかである。また、発破時に削岩機のエアーホースを取り外しエアーを吹かす場合には、切羽面から約一〇メートルの地点にホースを固定してエアーを放出していたが、これによっても、発破により発生する粉じん及び跡ガス等は短時間のうちに希釈・排出されていた。

ウ 補助通気

松尾採石所における補助通気の主たる目的は、採掘によって生じた空洞内において主要通気の流通が緩慢になることを防止するため、補助扇風機を上段レベル中坑の最も適切な箇所に設置し、通気の流通速度を高めることにあった。補助扇風機には主として三〇馬力の扇風機を用いていたが、最下部レベルにおける掘進箇所数は限られており、また、前述の局部扇風機の保有数にかなりの余裕があったため、これらの局部扇風機も補助扇風機として活用していた。なお、右三〇馬力の補助扇風機は、一、二台保有していた。

(二) 湿式削岩機

粉じんの発生を抑制する手段として水を使用することは、最も効果が高く、かつ、簡便なため古くから行われてきたところであるが、これは現在に至っても基本的に変わるところはない。とりわけ坑内作業においては、その作業形態の特殊性から、粉じん防止対策としてとりうる手段はおのずから限定され、水の使用は不可欠である。

坑内における粉じん対策として、通気による希釈・排出、削岩機の湿式化、散水による発じん防止、防じんマスクによる粉じん吸入防止等の方法が長年とられてきたが、現在でも坑内で現実に採用しうる粉じん対策としてはこれらのほかにない。とりわけ削岩機の湿式化は、粉じん防止に多大な効果があることから、金属鉱山を中心に広く普及し、時代とともに種々の改良がなされてきたが、松尾採石所が開坑した昭和四〇年当時からすでに技術的には現在の水準に達していた。そして、松尾採石所においては、開坑当初から長孔削岩機(ドリフター)及び掘進用削岩機(レッグドリル)をすべて湿式型とし、穿孔作業時における粉じんの発生を抑制してきたのである。

(1) 湿式削岩機の構造とその粉じん抑制効果

衝撃式削岩機には、その作動時に中空ロッドを通して空気を送る乾式のものと圧力水を送る湿式のものとがあるが、後者は、削岩機に給水ホースを連結し、削岩機本体内のピストン中央に備えられた水管(ウォーターチューブ)を経て中空のロッドに通水し、ビットの刃先から掘るべき岩盤孔内に注水する方式である。湿式削岩機への給水は、放水管から分岐された給水ホースにより削岩機本体に送り込まれ、給水量は削岩機の手元にあるウォーターバルブの開き具合で調整する。そして、乾式削岩機では、繰粉が直接穿孔から放出されて粉じんの発生をみるのに対し、湿式削岩機では、繰粉が圧力水により泥流となって穿孔から排出されることとなるので、乾式削岩機を使用した場合に比較して、粉じんの量を八〇パーセントないし九〇パーセントも抑制することができるものとされている。

(2) 松尾採石所における湿式削岩機使用の実状

ア 削岩機の種類及び型式

松尾採石所において使用した削岩機の種類、型式及び台数は、長孔用削岩機(ドリフター)として、大成削岩機製KH-八〇(四台ないし七台)、同TR-三〇〇(三台)、東洋工業製TY-一四五(二台)、掘進用削岩機(レッグドリル)として、東洋工業製TY-二四LD(八台ないし一六台)、同TY-一六LD(二台ないし三台)であるが、これらのうち、採掘開始当初から坑口閉塞までの間主力機種として使用されていたのは、長孔用がKH-八〇、掘進用がTY-二四LDであった。

イ 給水設備

湿式削岩機の削岩用水は、坑内に貯水タンクを設置し、高低差及びポンプにより加圧して各作業場に供給していた。そして、坑内各所で湧出した水を坑内の沈澱槽にいったん溜め、そこからポンプを使って右貯水タンクに常時揚水しており、削岩機にも常時適正な水量が供給されていた。また、坑内全域に配水管を敷設し、作業の進行に伴って逐次延長又は撤収した。

(三) 散水措置

松尾採石所においては、掘進作業における穿孔前、発破後、ずり掻きの前のほか、原石又は掘進ずりの積込み前にそれぞれ散水を実施し、前記削岩機の使用と併せて坑内における粉じんの抑制に努めていた。

(1) 穿孔前の散水

坑道掘進作業において削岩機を使用して穿孔する場合には、切羽面及びその周辺の必要な箇所にあらかじめ散水し、穿孔作業時の粉じん発生を防止した。右散水は、切羽面及びその周辺に粉じんが付着していた場合に、穿孔中削岩機からのエキゾースト(排気)で粉じんが再飛散するのを防止する目的で行うものである。実際には、右エキゾーストの圧力は粉じんを著しく飛散させるほどのものではないが、松尾採石所においては、削岩作業を行う際は粉じんの有無に関係なく、右穿孔前の散水の励行を指導・教育し、その徹底を図っていた。

右散水は、削岩機にウォーターホースを取り付ける際、水が来ていることの確認としても行うものであるから、これが省略されることはなく、また作業者が右ウォーターホースを使用して行うものではあるが、作業者の経験に基づき必要な部分に必要な量の散水が行われ、これによって粉じんの発生は十分に抑制されていた。

(2) 発破後散水及びずり掻き前散水

坑道掘進作業において発破を行った際には、発破後十分な時間の経過を待って切羽に入り、浮石の点検及び整理の後、切羽及びその周辺のずりに対して散水を施した。

(3) 積込作業における散水

最下部レベルの主要坑道・切羽坑道における掘進ずりの積込作業及び積込間口における採掘原石の積込作業は、ドーザーショベル又はタイヤショベルを使用して行うものであるが、右作業を行うにあたっては、積み込まれるずり又は原石に対してあらかじめ散水して粉じんの発生を抑制していた。右積込間口における散水は、切羽坑道にある給水管の本管から散水ホースで分岐した後、これを積込坑道に引き入れて行うものであるが、右散水ホースを積込坑道壁面に固定するか、又は作業員みずからの手によって適宜適切な箇所に散水していた。そもそも積込坑道の床面は、涌水及び削岩用水等により常時水が溜まっている状況にあり、積込原石自体も濡れているのが常態であったが、右散水により粉じん防止効果は一層確実なものとなっていた。

(四) 上がり発破、昼食時発破の実施

(1) 被告日鉄は、坑内作業員に対し、発破を行った場合には、発破後の粉じん及び跡ガスが十分に希釈・排出された後に当該発破箇所に入るよう厳格に教育指導するとともに、発破は原則として上がり発破又は昼食時発破により行うこととし、作業員が発破による粉じんに暴露することのないように作業工程の面からも十分な安全衛生措置を講じていた。

(2) 上がり発破は一日の作業終了時に発破を実施するものであり、発破点火後は発破箇所に入ることなく、発破後の点検及びずり処理等は翌日行うものである。また、昼食時発破は昼食休憩前に発破を実施し、発破後の点検及びずり処理等は昼食休憩後に行うものである。そして、これらの励行により、作業員は発破後の粉じん及び跡ガスが十分に希釈・排出された後に当該発破箇所に入ることとなり、発破による粉じんが作業員に影響を与えることはなかった。

(3) 坑道掘進作業における発破

坑道掘進作業は、大別すると、穿孔、火薬装填、発破、ずり処理の工程に従って行われるが、発破回数は一日一発破が通常(ときに二日に三発破)である。したがって、右坑道掘進作業における発破は、必然的に昼食時又は作業終了時に合わせて行うこととなり、上がりの発破及び昼食時発破が確実に励行されていた。

また、上がり発破及び昼食時発破の実施は、発破による粉じん及び跡ガスの希釈・排出のための待機時間を有効に利用する方法でもあるため、作業員自身も上がり発破及び昼食時発破を行うようみずから工夫して作業を行っていた。

(4) 長孔発破

松尾採石所における生産作業は、長孔削岩機により長孔を穿孔し、これに火薬を装填して発破を行うものであるが、右長孔発破は、月に五回ないし六回の割合で行われ、すべて上がり発破により全作業員が坑外に退出した後に行われていた。したがって、右長孔発破により作業員が粉じんに暴露することはなかった。

3 粉じん遮断対策

(一) 防じんマスクの使用目的

防じんマスクは、濾過材を用いて浮遊粉じんを濾過することによって、作業員の粉じん吸入を防止する呼吸用保護具である。

前述したように、坑内作業において粉じんの発生を皆無にすることは、現在の技術をもってしても不可能であるから、じん肺を予防するためには、通気による希釈・排出、湿式削岩機の使用、散水の実施等の粉じん抑制対策とともに、作業員に粉じんを吸入させないように防じんマスクを装着させることが必要不可欠である。

(二) 防じんマスクの構造及び性能

(1) 防じんマスクの構造と国家検定制度

防じんマスクは、濾過材、排気弁、面体部及び締めひも(面体を顔面に密着させるひも)からなり、濾過材を通じて吸気を行い、その呼気を排気弁から外部に排出するものである。そして、右各部材の材質や性能については、国の検定に合格したものであることが要求されるが、我が国において防じんマスクの国家検定制度が定められたのは、昭和二五年制定の労働衛生保護具検定規則がその最初であり、これと同時に定められた同年一二月二六日労働省告示第一九号をもって具体的な材質、性能、構造等が規格化されるに至り、以後防じんマスクの規格は国の管理のもとにおかれることとなった。

右労働衛生保護具検定規則及び防じんマスクの規格は、その後昭和三七年に改正されるに至り、松尾採石所においては、この改正後の検定に合格した防じんマスクを使用していたものである。

(2) 防じんマスクの性能

防じんマスクの性能は、粉じん捕集効率、吸気抵抗、排気抵抗及び吸気抵抗上昇率等で規定されるが、それらの意味内容は次のとおりである。

ア 粉じん捕集効率(これを「濾過効率」ともいう。)

これは、毎分三〇リットルの空気をマスクを通して吸引したときのマスク通過前後の粉じん量を比較したものであり、粉じん捕集の程度を表すものである。

イ 吸気抵抗

これは、毎分三〇リットルの空気をマスクを通して吸引したときのマスク内外の圧力差を水柱ミリメートルで示したもので、息苦しさの程度を表すものである。

ウ 排気抵抗

これは、毎分三〇リットルの空気をマスクを通して吸引したときのマスク内外の圧力差を水柱ミリメートルで示したもので、吸気抵抗と同様に息苦しさの程度を表すものである。

エ 吸気抵抗上昇率

これは、毎分三〇リットルの空気をマスクを通して六〇分間吸引した後、マスク内外の圧力差(吸気抵抗)の上昇率を示したもので、吸気抵抗の増加傾向を表すものである。

(3) 濾過材の改良

防じんマスクは、装着者の吸気により濾過材に粉じんを吸着してこれを捕集するものであるから、その構造上吸気抵抗を全くなくしてしまうことは不可能であるが、それでも時代とともに濾過材の改良がなされ、昭和三〇年代には、粉じん捕集効率が高く、かつ、吸気抵抗の小さい「静電濾層」(ミクロンフィルター)が開発されるに至った。これは、濾過材に静電気が帯電するよう特殊な加工を施すとともに、繊維の目を大きくして吸気抵抗を極力小さくしたものであるが、この開発により、以後防じんマスクの主流は静電濾層マスクになっていったのである。

右静電濾層の開発は、金属鉱山を経営する会社によって組織されている日本鉱業協会内に設置された粉じん防止委員会にいて、各社が拠出した研究費と国の補助金とに基づいて研究が進められた成果であり、右研究には被告日鉄もその中心的一員として参画していた。

(三) 松尾採石所における防じんマスク使用の実状

(1) 型式・種類の選択

防じんマスクの選定にあたっては、単に粉じん捕集効率の高さのみを比較すべきものではなく、当該作業場の作業種別、作業環境等を勘案したうえで、これに最も適合し、かつ、粉じん捕集効率、吸気抵抗、重量等の諸点を含めて総合的に優れたものを選定すべきである。被告日鉄は、松尾採石所において作業員に貸与するマスクについて、特に次の諸点を重視し、これらの点をより多く充足するものを選定してきた。すなわち、第一に粉じん捕集効率ができるだけ高いこと、第二に吸気抵抗が小さいこと、第三に吸気抵抗上昇率が低いこと、第四に坑内の湿気に強いこと、第五に重量が小さく、視野の広いことである。

松尾採石所においては、開坑当初から昭和四九年まではサカヰ式一〇〇三A号型マスクを、昭和四九年から昭和五七年の坑口閉塞に至るまではサカヰ式一〇〇三C号型マスクを各使用したが、いずれの機種も前記の諸点からみて最も松尾採石所に適合すると判断されたものであった。

(2) 装着についての指導及び管理

ア 個別無償貸与

被告日鉄は、開坑当初から直轄従業員に対しては防じんマスクを無償貸与し、マスク本体及び濾過材等の部品については適宜新品と交換できるように準備していた。

イ 装着義務及びその指導教育

被告日鉄は、粉じん作業者に限らず非粉じん作業者に対しても、逐次マスク装置の対象者として無償貸与を行うとともに、坑内へ入る者については、粉じん作業者であると否とを問わず、必ず防じんマスクを装着させることとしていた。また、防じんマスクの装着に関する指導及び管理については、毎月一回開催される生産保安会議及び毎朝行われる番割等を通じて従事者に周知徹底していたほか、さらに係員が現場巡視を行う際にも装着の完全実施について点検を行い、従業員に対するじん肺教育の最重点項目として万全を期していた。

ウ 乾燥設備

松尾採石所においては、防じんマスクの性能を保全するため、坑外休憩所に乾燥室を設けて従業員みずからの手により日常の自主管理を徹底させるようにしていた。すなわち、松尾採石所の坑内は、湿度が一〇〇パーセント近い状態にあったため、毎日の作業終了後右乾燥室において各自がマスクを乾燥させることとし、常に良好な状態で使用できるようにしていたのである。

(四) 請負業者に対する防じんマスクの指導

(1) 松尾採石所において被告日鉄からの請負業務に従事していた各請負業者も、同被告と同様に、それぞれの従業員に対して防じんマスクを供与し、その装着の励行を図っていたが、各請負業者において従業員に対して供与していたマスクは、必ずしも同被告のそれと同型のものではなく、各請負業者が各作業種別に応じて最も適切なものを選定していた。すなわち、熊谷組は重松式マスクを、被告菅原はサカヰ式一一七号型マスク及びサカヰ式一〇〇三C号型マスクを選定し、従業員に使用させていた。

(2) 各請負業者は、被告日鉄と同様に、防じんマスクの装着に関する指導及び管理について、従業員に対する徹底した教育を行っていたが、右教育は、同被告が開催する生産保安会議等の場において、同被告から各請負業者の責任者又は代表者に伝達されてその従業員に周知徹底されていたほか、現場においても、同被告の従業員と各請負業者とが一体となってその徹底に努めていたものである。したがって、各請負業者の従業員に対する防じんマスクの装着についての指導及びその違反に対する是正のための指示は、各請負業者の責任者からだけではなく、同被告の係員からも行われ、二重のチェックが行われていたのである。

4 作業環境と労働条件

松尾採石所の作業環境及び労働条件は、次に述べるとおり、いずれも極めて良好なものであった。

(一) 坑内温度

松尾採石所の坑内採掘現場は、三五〇MLの坑口レベルを基幹レベルとしてこれより上方に展開するという単純な坑内構造をとっていたものであるが、このような坑内に豊富な通気量を確保していたので、坑内温度は平均して摂氏一六度ないし一八度で安定しており、作業温度としては最も適していた。

(二) 坑内温度と湿潤度

そもそも坑内は涌水、滴水等により極めて湿度が高い状態にあるが、削岩用水、散水等を行う現場においては、更に湿度が高くなり、ほとんど飽和に近い高湿状態となる。松尾採石所においても高湿状態であり、坑内の涌水、滴水等のほか、湿式削岩機の使用、散水等によって坑道床面のいたるところに水溜まりが生じ、坑道壁面からは常時水が滴り落ちるという状態であった。したがって、松尾採石所の坑内湿度は常時九五パーセントを超え一〇〇パーセント近い状態にあり、飽和した水蒸気が空気中の粉じんを捕集してその飛散を防止するという機能を果たしていた。

(三) 労働の質及び内容

松尾採石所において原告らが主として従事した掘進、長孔、積込み及び運搬の各作業は、松尾採石所が開坑した昭和四〇年当時からすでに、現在広く行われている坑内採掘方法及び採掘技術の水準に基づいて行われており、原告らに著しい肉体的負担を課すような作業はなかった。

(四) 労働条件

被告日鉄は、原告らとその使用者である各請負業者との間の労働条件についてはなんら関与しておらず、その内容について容喙する限りではないが、出来高払賃金制は労働基準法にも規定の存する合法なものであり、労働時間についてもなんら不当とされるところはない。

5 安全衛生教育

被告日鉄は、次に述べるとおり、あらゆる機会を利用して組織的に安全衛生教育を実施していた。

(一) 松尾採石所における安全衛生管理体制

(1) 松尾採石所の組織

松尾採石所においては、所長のもとに採石係と総務係を設け、採石の実施から販売に至るまでの業務を担当していたが、このうち採石係は、坑内採掘作業及び破砕プラントの各現場を受け持ち、原石の採掘から破砕、成品化に至る一連の業務を行い、また、総務係は、総務、経理及び成品の販売等の事務関係をその職務範囲としていた。そして、坑内採掘作業は、採石係長及び採石係員(坑内担当)一名ないし二名のもとに配属された採石員一〇名ないし一五名のほか、坑道掘進等の準備作業を担当する各請負業者がこれを行っていたものである。

(2) 安全衛生管理体制

松尾採石所の所長は、安全衛生管理組織の責任者として、被告日鉄従業員の安全衛生の統括管理にあたり、採石係長及び同係員を通じて各請負業者とその従業員に対する安全衛生の指導及びその違反是正を行っていた。また、採石係長及び同係員は、坑内全般の安全衛生確保のために必要な場合には、直轄従業員であると請負業者の従業員であるとを問わず、直接に指導又は違反是正のための指示を行った。そして、安全衛生に関する諸事項については、後述する生産保安会議、安全祈願、安全週間及び衛生週間等に請負業者の責任者又はその従業員の参加を求め、直轄従業員及び請負業者の従業員が共通の認識のもとにその指導に従うことができるよう配慮していた。

(二) 松尾採石所における安全衛生施策の実施

(1) 生産保安会議の開催

被告日鉄は、毎月末定期的に生産保安会議を開催することとし、毎月の業務に関する連絡・報告のほか、災害防止対策の検討、施設・設備の整備・改善に関する検討、その他安全衛生面に関する諸施策を討議し、これを各事業主を通じてその従業員に周知徹底させていた。

(2) 職場懇談会の実施

被告日鉄は、右生産保安会議とともに、更に従業員の意見を反映させるため、各職場ごとに毎月一回程度の割合で職場懇談会を開催することとし、現場の全従業員の参加を求めたうえで、従業員から設備・器具等の改善、又は他の職場に対する改善の要望を聴取し、従業員の健康の把握と安全衛生面の意識の高揚に努めた。

(3) 番割時の安全衛生教育

番割は一日の作業前にその日の作業箇所、作業内容及び安全衛生上の注意事項等を作業者に周知徹底させるための伝達及び日常教育の場であるが、被告日鉄及び各請負業者は、毎日就業前にその事務所において番割を実施し、安全衛生教育の徹底に努めていた。

(4) ミーティングの実施

被告日鉄及び各請負業者は、それぞれに随時適当な場所を利用してミーティングを行い、その日の作業上の問題点又は改善事項等について話し合い、従業員の安全衛生上の意識高揚に努めていた。

(5) 毎月の安全祈願

毎月の作業日初日には、所内に建立した山神社に参拝し作業の安全を祈願した。右安全祈願は、各請負業者及びその従業員全員の参加を求めて全員で山神社に参拝した後、所長又は採石係長が保安目標及び安全衛生上の注意事項について述べるものであり、被告日鉄はこの機会を集合教育の場として重視していた。

(6) 現場機会教育

安全衛生教育の終局的な目的は、各作業者がみずから安全衛生の自覚を高めることにあるが、現場における機会教育は、この点において最も重要で、しかも効果的な教育方法である。そこで被告日鉄の係員は、坑内の現場を巡回する際に、直轄の従業員に対し実地指導教育を反復して日常教育活動を行うとともに、坑内全般にわたる安全衛生の確保及び労働者保護の見地から、各請負業者の従業員に対しても必要な都度安全衛生上の指導及び安全衛生法規違反是正の指示を行い、現場機会教育の徹底に努めていた。

(7) 各種資格教育への参加と安全衛生意識の高揚

被告日鉄は、所内における災害防止のため、各関係法規に定められた採石作業主任者、発破技師、火薬類保安責任者、採石業務管理者又は公害防止管理者等を適正に配置・選任するとともに、各種講習会及び教育の場に所内労働者が積極的に参加できるよう配慮し、従業員の安全衛生意識の高揚を図っていた。

(三) 松尾採石所におけるじん肺教育

(1) 集合教育におけるじん肺教育

被告日鉄は、前記生産保安会議、職場懇談会、番割及び安全祈願等の集合教育の場において、粉じんが身体に影響を及ぼす事実を説明したうえで、防じんマスクの装着の徹底、穿孔前及び発破後散水の励行、適正な通気設備の使用等、じん肺罹患を予防するための諸方策について指導教育を反復した。特に生産保安会議には、総務係長及び同係員が出席し、従業員の健康管理対策、じん肺の病理等について必要な指導教育を行うとともに、じん肺健康診断を含む健康診断の実施計画についての情報を伝達した。

(2) 現場におけるじん肺教育

前記のとおり、被告日鉄の係員が坑内の現場を巡回する際には、直轄であると否とを問わず、従業員に対してマスクの装着の徹底、散水の励行、湿式削岩機の適切な使用、適切な通気方法等について厳しくチェックし、必要な指導教育を行っていた。

(3) 就業時の教育

粉じん作業に従事する者を新規に採用した場合(社内配置転換の場合を含む。)には、採石係員が付き添って実際の作業現場に赴くなど、じん肺罹患の予防法を中心に具体的に安全衛生全般に関する教育を行っていた。

(4) 啓蒙教育

全国一斉に行われる行事として、毎年七月には全国安全衛生週間(保安週間)が、同じく一〇月には全国労働衛生週間がそれぞれ設けられているが、被告日鉄は、この機会に安全衛生意識の一層の高揚を図るため、各請負業者と共同でポスター、標語等を各所に掲示するとともに、じん肺の予防及び健康管理に関する啓蒙教育に努めた。

(5) 粉じん作業特別教育規程

粉じん作業労働者に対する教育内容について、従前法規上はその具体的内容が明確にされていなかったのであるが、昭和五五年一〇月施行の粉じん作業特別教育規程により右内容が明らかにされるに至ったので、被告日鉄は、右以後従前から行っていた安全衛生教育を更に徹底して行うこととした。

6 健康管理対策

被告日鉄は、労働基準法、労働安全衛生法、じん肺法等の関係諸法令に基づき、次のとおり一般健康診断及びじん肺健康診断を実施していた。

(一) 一般健康診断の実施

(1) 雇入時健康診断の実施

被告日鉄は、労働基準法及び労働安全衛生法の定めるところにより、従業員の雇入れに際し健康診断を実施した。

(2) 年二回の定期健康診断の実施

一般健康診断の定期健康診断(以下「一般定期健康診断」という。)は、開坑当初から毎年春に実施していたが、坑内作業従事者及び粉じん作業従事者については、労働基準法、労働安全衛生法及び労働安全衛生規則の規定に基づき、毎年二回春と秋に実施した。ただし、年二回の受診者については、当該年度にじん肺健康診断があった場合には内一回の一般定期健康診断を省略することがあった。

(3) 検診機関

一般定期健康診断は、当初東京都西多摩郡秋多町(現在の秋川市)所在の阿伎留病院において行っていたが、昭和四四年度の健康診断から社団法人社会保険第一検査センターによる巡回検診により行うこととした。

(4) 成人病予防検診

右の社会保険第一検査センターによる巡回検診は、いわゆる成人病予防検診(当初は中高年齢者疾病予防検査と称していた。)であり、労働安全衛生規則に基づく健康診断の検査項目を上回り、心電図、胃・十二指腸エックス線検査等をも含む総合的な精密検査であったが、松尾採石所には社内配転者等比較的中高年者が多く、また、右成人病予防検診が受診に便利な巡回検診であることから、従業員の一層の健康維持・増進のためこれを採用したものである。

なお、右巡回検診は一次検診であり、その際異常が認められた者に対しては、更に個別に検診機関に出向かせて必要な診断を受けさせていた。

(二) じん肺健康診断の実施

(1) 就業時健康診断

被告日鉄は、粉じん作業従事者を雇用する際、又は非粉じん作業従事者を粉じん作業に配置換えする際には、じん肺法に基づく就業時健康診断を実施した。

(2) 定期健康診断

じん肺定期健康診断は、じん肺法の定めるところにより、原則として有所見者については年一回、粉じん作業従事者で無所見の者については三年に一回の割合で実施した。

(3) 定期外健康診断

一般健康診断等により定期外健康診断の必要が生じた者については遅滞なく定期外健康診断を実施した。

(4) 離職時健康診断

改正じん肺法に定める離職時健康診断についても、その事由が発生する都度実施した。

(5) 検診機関

じん肺健康診断を行う検診機関は、前記阿伎留病院のほか、西多摩病院、荻窪病院等であった。

(三) 一般健康診断及びじん肺健康診断の具体的内容

(1) 事業所内一斉実施

松尾採石所は、その事業形態が採石生産という流れ工程であり特に安全管理体制面を重要視する必要があることから、一般健康診断、じん肺健康診断のいずれも、原則として事業所内一斉実施とし、直轄従業員と請負業者の従業員とが同時に同じ診断機関で受診できるよう配慮していた。

しかしながら、右健康診断を実施する主体はあくまでも各事業主であり、被告日鉄は各請負業者と連絡を取りながら受診の便宜を図ってはいたが、各請負業者の従業員に関する一切の手続は、それぞれ各請負業者の責任において行っていたものである。

(2) 実施要領の伝達

各健康診断の実施に際しては、毎月行われる生産保安会議等の場を利用して、被告日鉄の係員及び請負業者の責任者を通じ直轄従業員及び請負業者の従業員にその実施要領を伝達・周知せしめ、受診漏れのないように措置を施していた。

(3) 診断結果の通知

各健康診断の診断結果報告は、当該検診機関から被告日鉄宛に請負業者の従業員分をも含めて一括送付されることとなっていたため、請負業者の従業員分については、被告日鉄の担当者から各請負業者の責任者に手渡すこととしていた。すなわち、成人病予防検診の結果については、各検診機関から送付されてくる会社保管用の診断書と個人通知用の診断書(健康管理手帳)のうちの後者を全従業員に手渡して通知することとし、じん肺健康診断の結果については、通常各受診者が診断後に直接医師からその結果を聞いてくることにはなっていたが、当該検診機関から結果の報告があった場合にも再度口頭で全受診者に通知することとし、右結果報告と併せて送付されたエックス線写真及び診断個人票については会社において保管することとしていた。

このように被告日鉄は、各現場係員又は総務担当者から各従業員に対して遅滞なく右診断結果を通知するとともに、通知の際には適切な健康管理上の指導及び機会教育を実施していた。

(4) じん肺管理区分の申請及び通知

被告日鉄は、じん肺健康診断の診断結果報告に基づいて、所轄の労働基準局に対して所定のじん肺管理区分決定を申請するとともに、決定された管理区分をじん肺法所定の文書により当該従業員に通知していた。

(5) じん肺有所見者に対する措置

被告日鉄は、じん肺管理区分決定によりじん肺有所見者とされた者に対しては、じん肺法の定めるところにより粉じん暴露の低減のため作業時間の短縮、就業場所の変更等に努力しており、所轄の労働基準局長からじん肺有所見者の作業転換について勧告、勧奨、又は指示を受けたことはなかった。

7 被告日鉄の原告らに対する安全配慮義務の内容・程度について

(一) 仮に、原告らと被告日鉄との間に実質的使用関係が認められるとしても、形式的にも実質的にも原告らの直接の使用者である被告菅原、熊谷組等と被告日鉄とでは、原告らに対して負うべき安全配慮義務の内容・程度に差異があってしかるべきである。すなわち、前記1ないし6の各事項のうち、次の(1)記載の坑内作業全般にわたるものについては、被告日鉄が原告らに対して直接安全配慮義務を負うものと解されるが、次の(2)記載の安全衛生に関する事項については、労働安全衛生法の安全衛生に関する規定に違反しないように指導し、又は違反を是正するように指示する義務を負うにとどまるものというべきであり、右指導及び指示を行うにあたっては、被告日鉄が常時原告らに付き添って監視・監督するまでの義務を負っているものではなく、これらの具体的作業の進行を担当する各請負業者の義務に属するものというべきである。

(1) 被告日鉄が原告らに対して直接安全配慮義務を負う事項

ア 前記1記載の粉じん濃度の測定

イ 同2(一)記載の坑内通気

ウ 同2(二)記載の湿式削岩機

エ 同2(三)記載の散水設備の設置

(2) 被告日鉄が請負業者及び原告らに対して前記指導・指示の義務のみを負う事項

ア 同2(三)記載の散水の実施

イ 同2(四)記載の上がり発破、昼食時発破の実施

ウ 同3記載の防じんマスクの使用

エ 同5記載の安全衛生教育

オ 同6記載の健康管理対策

(二) 被告日鉄が原告らに対して負うべき安全配慮義務の内容・程度は以上のとおりであるが、被告日鉄は、前述したとおりこれらの義務をすべて履行してきたものである。

三 原告らの損害と労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)との関係

原告らのじん肺罹患による損害は、次に述べるとおり、労災保険法に基づく給付によりすべて填補されるべきものであり、被告日鉄において賠償すべき義務を負うものではない。

1 労災保険法の意義

労災保険法は、その一条において規定する目的のとおり、かつての労働基準法の災害補償に対応した保険制度という古典的な形態から歩を進めて、使用者責任の分野に属する事項についても補償することとして、これを総合的補償制度に発展させたものである。その保護の内容は労働者の稼働能力の損傷に対する回復又は填補であるが、これに要する費用のほとんど全額は事業主がこれを負担することとなっている(同法二四条以下)。すなわち、労災保険料は、労働保険の保険料の徴収等に関する法律の定めるところにより事業主が全額これを負担するものとされており、事業主は、雇用している労働者に対して支払う賃金の総額に一定の保険料率を乗じて算出された金額を保険料として納めるものとされている。

したがって、労災保険法は、業務災害を受けた労働者に対して国が使用者の補償義務を代行するという制度を採用したものであり、これに要する費用については、個別企業の負担する危険を全企業に分散させる保険制度を採用することによりこれを賄っているものである。被災労働者の稼働能力の損傷に対する回復又は填補については、過去の幾多の法令改正により著しく向上し、業務災害全般にわたって右目的に相当程度応えうる段階に達しているのであり、保険給付自体についても非課税とされるなど被災労働者の保護が細かく配慮されているのである。

2 業務災害の態様からみた安全配慮義務の内容

業務災害の態様を受傷又は発病についての時間的な経過から分類すると、短時間内に発生するいわゆる事故(作業中の負傷、有毒ガスによる疾病等)によるものと、長期間特定の作業環境におかれることによって当該作業従事者が漸次身体に影響を受けるものとの二つに大別することができるが、前者については使用者の安全配慮義務に関する事項を比較的容易に判断できるのに対し、後者についてはその判断が極めて困難である。なぜなら、後者の場合には、当該労働者の身体上の資質、生活環境、日常生活の具体的方法、自己の健康保持についての関心と努力、過去の職歴等多種多様な要素が複雑に絡み合った結果疾病に至るものと推測されるのであり、同一作業に同一の期間従事した者であっても、大多数の者はなんら健康を害することなく一生を終えているからである。労働者が企業において職務を遂行するにあたっては、労働者自身も定められた安全作業方法を順守する等の注意義務(自己安全義務)を負うものというべきであり、使用者の労働者に対する安全配慮義務の内容・程度についても、労働者の右自己安全義務との衝量のうえに決定されるべきものである。したがって、使用者としては当該労働者の長期間にわたる就業期間中、労働者の自己安全義務との衝量のうえに決定された相応の安全配慮義務を尽くしていれば足りるものというべきであり、労働者になお損害が生じた場合には、前記労災保険法の存在意義に照らし、右労働者の損害はすべて労災保険給付によって填補されるべきものである。

四 「許された危険の法理」と安全配慮義務との関係

1 「許された危険の法理」とは、危険部分はあるがその危険の創出は適法として許され、万一その結果災害が発生したとしても、それに基づくものであれば責任を問われることはないというものであり、社会生活上やむをえない危険についてはこれを容認すべきであるという議論である。もとより、松尾採石所坑内の状況について、右法理が無条件に妥当するものではないが、右法理の趣旨は本件の安全配慮義務の内容・程度を考えるうえで十分に斟酌されるべきである。

2 およそ稼働に際して粉じんの発生する作業場にあっては、いかに発生源を遮断し、通気を良くし、防じんマスク等の器具の改善を図ったとしても、粉じんを完全に遮断することは物理的に不可能であり、極めて微量ではあっても長期間の稼働により右微量な粉じんが人体になんらかの影響を与えるであろうことは十分に考えられるところである。一方、松尾採石所において採掘する岩石は建設業界をはじめ社会的用途が極めて広く、その事業は正に社会的に有益かつ必要不可欠なものであって、単に被告日鉄という一企業の営利目的のみに目を奪われるべきものではない。しかも、前近代的な労使関係が支配する職場であるならばともかくも、原告らは松尾採石所坑内の状況も十分に認識したうえで、その自由意思に基づいて被告菅原等の請負業者に就職し、同採石所での労働に従事するに至ったものである。

これらの事情を彼此勘案するならば、仮に松尾採石所坑内の粉じんが原告らの健康になんらかの影響を与え、被告日鉄において履行した安全配慮の内容・程度に必ずしも十分でない側面があったとしても、前記労働者の自己安全義務をも考慮に入れたうえ、「許された危険の法理」の趣旨に照らすときには、被告日鉄は原告らに対し、その損害につき賠償義務を負うことはないものというべきである。

五 被告日鉄の限定責任

1 限定責任の根拠

被告日鉄は、前述のように、原告らに対して負うべき安全配慮義務をすべて履行しており、その損害を賠償すべき義務はないものというべきであるが、仮に右義務があるとしても、原告らのじん肺罹患の原因の寄与率に対応し、限定された範囲で責任を負うにすぎないものというべきである。前述したように、被告日鉄は、じん肺罹患の防止に関し、その時期その時期においてなしうる最善の対策を尽くしてきたものであり、松尾採石所の粉じん職場としての作業条件・作業環境は原告らが稼働した他の粉じん職場と比較しても決して劣ることはなかったものである。したがって、松尾採石所のほかにも粉じん職場の経歴のある原告らに対しては、被告日鉄の責任は相応の範囲に限定されるべきである。

2 責任限定の基準

松尾採石所以外の粉じん職場における原告らの職歴をみても、その業種は多岐にわたっており、粉じん発生の程度も業種ごとに異なるものと推測されるから、稼働期間の長短のみで責任を限定するのは相当でない。また、原告らが稼働した各職場の稼働期間をもとに、各職場における粉じん発生量により、その比率を増減させて比較する方法も考えられうるが、この方法についても、一応業種別の粉じん発生量の測定結果を記載した文献が存在するものの、すべての業種につき測定されたものではないうえ、測定時期も測定方法も異なり、かつ、測定結果の評価の方法さえも異なるものであるため、これをもとに比較検討することは妥当でない。

そこで、労働省労働基準局編纂にかかる「労働衛生のしおり」に毎年発表される「業種別じん肺健康管理区分の決定状況」から得た数値をもとに、統計が始められた昭和三五年から同一の区分で調査された昭和五一年までのじん肺有所見者率の平均値を算出したうえで、土石採取業の平均有所見者率を1として、他の業種の平均有所見者率の土石採取業に対する比率を算定し、これを稼働期間に乗じて算出した数値を松尾採石所における稼働期間と対比して責任限定の基準とするのが妥当である。これは、右労働省の統計が、〈1〉調査対象業種が多いこと、〈2〉調査が毎年行われていること、〈3〉客観性が担保されていること等の諸点において、前述の粉じん発生量を基準とするよりも優れていることを理由とするものであるが、このようにして算定された比率をもとに、被告日鉄の責任の範囲を計算した結果は、別紙業種別じん肺有所見者率一覧表の右端欄に記載したとおりである。

六 原告らのじん肺管理区分の決定が誤りであることについて

原告らは、いずれもじん肺管理区分の管理四の決定を受けたと主張しているが、仮にこれが事実だとしても、次に述べるとおり、原告らのエックス線写真の像及び肺機能の状態等に照らせば、右決定は誤りであるから、管理四を前提にその損害額を算定することは相当でないというべきである。

1 原告岩元について

原告岩元は昭和五五年八月一五日付でじん肺管理区分の管理四の決定を受けたとされるが、その根拠はエックス線写真の像に大陰影があり、その型がC型であるからとされている。しかしながら、労働基準監督署に定期的に提出が義務づけられている労働者災害補償保険診断書(じん肺用)によれば、昭和五七年度から昭和六三年度に至るまで原告岩元の胸部エックス線写真像の大陰影の型はすべてA型又はB型であり、これによって管理三ロの決定をすることはできても、管理四の決定はできないはずである。また、右各診断書中の肺機能検査の欄をみても、本人の恣意が入らないため、客観的で信頼度が高いとされる第二次検査(採取血液によるガラス分圧検査)が行われたのはわずかに昭和五七年度のみで、他はすべて第二次検査が行われないまま、著しい肺機能障害があるとの判定がなされている。これでは果たして本当に肺機能に著しい障害があるといえるか疑わしく、これらの診断書を前提とする管理四の決定は誤りである。

2 原告菊池について

原告菊池は昭和六三年一一月一〇日付でじん肺管理区分の管理四の決定を受けたとされるが、その根拠と考えられる労働者災害補償保険診断書(じん肺用)によれば、原告菊池の胸部エックス線写真像の大陰影の型はB型であり、これによっては管理三ロの決定をすることはできても、管理四の決定はできないはずである。ところで、右診断書中の疾病名の欄によれば、原告菊池は肺機能検査を受けた当時、続発性気管支炎に罹患していたことが明らかであるが、じん肺患者が続発性気管支炎に罹患している場合には、その者につき肺機能の検査を行っても正しい検査結果を得ることはできないし、合併症である続発性気管支炎が軽快すれば肺機能が回復することも考えられるところであるから、続発性気管支炎に罹患している原告菊池につき、これが治癒していない時期に行った肺機能検査の結果は信用性に乏しく、これをもとに著しい肺機能障害があると判定することは誤りであるから、右診断書を前提とする管理四の決定も誤りである。

3 原告後藤について

原告後藤は昭和五六年一〇月三一日付でじん肺管理区分の管理四の決定を受けたとされるが、その根拠と考えられる診断書によれば、原告後藤の胸部エックス線写真像の大陰影の型はA型であり、これによっては管理三ロの決定をすることはできても、管理四の決定はできないはずである。そこで肺機能の障害程度をみるに、右診断書によれば、原告後藤の肺機能の状態は、肺活量、一秒率、パーセント肺活量、酸素分圧、肺胞気・動脈血酸素分圧較差(以下「酸素分圧較差」という。)のいずれの点においても、著しい肺機能障害があると判定するには程遠いものであり、到底管理四の決定をなしえないものであるから、右決定は誤りである。

七 過失相殺

1 使用者が労働者に対し、事故発生を防止すべき安全配慮義務を負っているとしても、このことは、労働者が自己の安全を守るための基本的な注意を払うべき義務を免れされるものでないことは明らかであるところ、原告らのじん肺罹患については、原告ら自身に次のような過失があるから、原告らに対する損害賠償の額を定めるにあたっては、これらの過失が斟酌されるべきである。

(一) 喫煙

喫煙をした場合には気管支粘膜の繊毛上皮が影響を受け、その結果清浄化作用の衰えと粉じん排除能力の低下を来す等健康を害するものであるから、粉じん作業に従事する原告らとしては、自己の健康と安全に害のある喫煙をしないよう注意すべき義務があるにもかかわらず、原告らはこれを怠り、喫煙をやめようとしなかったばかりか、松尾採石所の坑内にも多数のタバコを持ち込み作業中にも喫煙するなどした過失により、自己の健康を害した。

(二) 防じんマスク着用の懈怠

坑内で粉じん作業に従事するにあたっては、防じんマスクの着用が不可欠であり、被告菅原の代表者からも防じんマスクを着用するよう厳しく指導教育されていたのであるから、粉じん作業に従事する原告らとしては、防じんマスクを必ず着用して作業に従事すべき義務があるにもかかわらず、原告らはこれを怠り、防じんマスクを着用しないで作業に従事した過失により、自己の健康を害した。

(三) 削岩機使用時の水の使用の懈怠

削岩機を使用して穿孔作業を行うにあたっては、粉じんの発生を防止するため、穿孔開始から削岩機のビットの先端がいくらか岩盤に食い込んで安定するまでの間、注水しながら作業を行うよう厳しく指導教育されていたのであるから、同作業に従事する原告らとしては、必ず注水しながら穿孔作業を行う義務があるにもかかわらず、原告岩元及び同後藤はこれを怠り、自己の体に水がかかるという単純な理由だけで右注水を行わず、乾式削岩機を使用するのと同様にして穿孔作業を行った過失により、自己の健康を害した。

(四) 散水の懈怠

削岩機を使用して穿孔作業を行うにあたっては、粉じんの発生を防止するため、穿孔前、発破後及びずり掻きの際にそれぞれ散水するよう厳しく指導教育されていたのであるから、同作業に従事する原告らとしては、必ず散水して穿孔作業を行う義務があるにもかかわらず、原告岩元及び同後藤はときにこれを怠り、散水しないまま穿孔作業を行った過失により、自己の健康を害した。

2 右の各過失により斟酌されるべき過失相殺の割合は、喫煙につき少なくとも二割、防じんマスクの着用懈怠につき少なくとも一割、削岩機使用時の水の使用の懈怠及び散水の懈怠につき各一割であるというべきであるから、これをもとに、被告日鉄の原告らに対する個別的責任減免の割合を導き出すと、原告岩元につき別紙賠償責任減免事由割合一覧表(一)、原告菊池につき同(二)、原告後藤につき同(三)各記載のとおりとなり、被告日鉄に損害賠償責任があるとしても、その負担割合は右各表の結論欄記載のとおりとなるものというべきである。

八 損益相殺

1 原告らは、じん肺に罹患したことにより、労災保険法及び厚生年金保険法(以下「厚生年金法」という。)に基づいて現に保険給付を受けており、右保険給付は将来も継続して行われるものであるが、平成元年一〇月三一日現在において、原告らがこれらの法令に基づいてすでに給付を受けた保険給付の合計額及び同日以降に給付を受けるであろう保険給付の合計額を推計すると、それぞれ次のとおりとなる(なお、右推計の前提となる諸条件は、別紙原告らの公的給付受給額計算書記載のとおりである。)。

(一) 原告岩元

(1) 既払額の合計 四四六一万三〇七六円

ア 労災保険給付 三二九八万八五三一円

イ 厚生年金保険給付 一一六二万四五四五円

(2) 将来の給付予定額の合計 一億三五一八万一四三七円

ア 労災保険給付 九七三一万二二二八円

イ 厚生年金保険給付 三七八六万九二〇九円

(二) 原告菊池

(1) 既払額の合計 三二三七万九六〇二円

ア 労災保険給付 二三五六万〇〇二八円

イ 厚生年金保険給付 八八一万九五七四円

(2) 将来の給付予定額の合計 一億三一四九万九八四六円

ア 労災保険給付 九一六四万三六二二円

イ 厚生年金保険給付 三九八五万六二二四円

(三) 原告後藤

(1) 既払額の合計 三二八八万〇二四八円

ア 労災保険給付 二三九一万七一九〇円

イ 厚生年金保険給付 八九六万三〇五八円

(2) 将来の給付予定額の合計 一億〇五四一万〇〇三〇円

ア 労災保険給付 七四四四万六九四四円

イ 厚生年金保険給付 三〇九六万三〇八六円

2 右保険給付のうち、既払額が原告らの損害額に対する填補に充てられるべきことはいうまでもないが、将来の給付予定額もこれと同様に原告らの損害額に対する填補に充てられるべきである。すなわち、労災保険は、政府管掌の保険制度であり、その保険料の九九・八パーセント以上を企業たる事業主の負担により賄っているものであるが、福祉政策の一環として今後ますます整備拡充されることはあっても、これが縮小・廃止されることはおよそ考えられない。したがって、将来の給付予定額についてもその支払が確定しているものと同視することができるのであって、これを原告らの損害額から控除しない理由はなく、もし、その控除を否定するとすれば、原告らの二重利得を回避するための調整を、いわば保険契約者の立場にある事業主を除外した形で、政府と受給権利者との間で行うこととなり、自動車損害賠償保障法上の加害者請求のような制度のない労災保険においては、使用者である事業主から保険利益を奪うものであるといわなければならない。

3 以上のように、右保険給付は、既払額のみならず、将来の給付予定額もすべて原告らの損害額に対する填補に充てられるべきものであるが、その際には、原告らの損害のうちの逸失利益にとどまらず、慰藉料額からもこれを控除すべきである。

4 なお、原告菊池は、被告菅原を退職するにあたり、同被告からじん肺罹患に伴う損害賠償として一二〇万円の支払を受けており、また、原告後藤は日本ロックからじん肺罹患に伴う損害賠償として三〇〇万円の支払を受けているから、これらの金額は同原告らの損害の填補に充てられるべきである。

(被告菅原)

一 安全配慮義務の履行

1 粉じんの発生・充満を極力抑制するための設備等

(一) 散水励行の指導

粉じんの発生を抑制するのに最も効果があるのは散水であるが、被告菅原は、原告ら従業員に対し、被告日鉄が配管した水管の水を使用して、削岩機による穿孔前の散水、発破後の散水、ずり掻き前の散水、積込作業時の散水を励行するように、常に指導教育していた。

(二) 湿式削岩機の使用

穿孔のために使用する削岩機は、湿式削岩機が被告日鉄から貸与されていたので、被告菅原は、原告ら従業員に対し、いわゆる口切り時を含め、常に水を使用して穿孔するように指導教育していた。

(三) 通気の確保

通気は、散水や湿式削岩機の使用によってもなお残存する粉じんを希釈・排出するための有効な手段であるが、これについては、労働場所を提供する被告日鉄において十分に配慮していたものであって、通気の確保に関する主張は同被告の主張と同様である。

2 粉じん遮断保護具の使用

被告菅原は、会社設立以降、原告ら従業員に対して、サカヰ式一一七号型の防じんマスクを支給して着用させていたが、昭和五一年ころからはサカヰ式一〇〇三C号型の防じんマスクを支給して着用させ、機会あるごとに着用の励行を指導教育していた。

3 作業条件等

(一) 松尾採石所の作業環境が良好であったことは被告日鉄の主張するとおりであり、その詳細については、同被告の主張と同様である。

(二) 原告らは、被告菅原が出来高払の賃金制を採用していたことの不当性を主張するが、出来高払賃金制は、以前から法律上も認められてきた制度であるうえ、契約自由の原則に則り、原告らとの合意に基づいて採用していたものであって、なんら非難されるいわれはない。また、原告らは、被告菅原に、原告らの賃金額を減少させることなく、その労働時間のみを短縮する義務があるかのように主張するが、賃金が労働の対価であり、その労働の内容、性質、作業量、作業時間等により支払われるものであることに照らせば、その主張に理由のないことは明らかである。

なお、被告菅原が松尾採石所において原告らに対して支払っていた賃金は、他の職場に比べても高額なものであって、原告らは非常に優遇されていたものである。

4 安全衛生教育

被告菅原は、毎朝同被告の事務所において原告ら従業員を集めて番割を行う際や、随時適宜な場所で懇談会を行う際に、安全衛生に関する事項につき、その都度注意や指導教育を行っていたものであり、特にじん肺に関しては、粉じんの吸入が原因となること、したがって、散水の励行、削岩機を使用する際の水の使用及び防じんマスクの着用が大切であることを話し、再三にわたって従業員の注意を喚起していたほか、被告菅原の代表者が坑内を巡回して、現場においても機会あるごとに注意指導を繰り返していた。また、被告日鉄が安全衛生に関する行事や講演会を催すときには、被告菅原の従業員もこれに参加させて、じん肺など安全衛生に関する教育を受けるように配慮していた。

5 健康診断

被告菅原は、被告日鉄の行う定期健康診断と同じ時期に同じ検診機関において従業員の健康診断を実施していたものであり、健康診断に関する主張は被告日鉄の主張と同様である。

二 原告らの損害と労災保険法との関係

原告らのじん肺罹患による損害は労災保険法に基づく給付によりすべて填補されるべきものであり、被告菅原において賠償すべき義務を負うものではない。その詳細については、被告日鉄の主張と同様である。

三 被告菅原の限定責任

被告菅原は、前述したように原告らに対して負うべき安全配慮義務をすべて履行しており、その損害を賠償すべき義務はないものというべきであるが、仮に右義務があるとしても、原告らのじん肺罹患の原因の寄与率に対応し、限定された範囲で責任を負うにすぎないものというべきである。その詳細については、被告日鉄の主張と同様である。

四 示談契約の締結による損害賠償請求権の消滅(原告菊池に対し)

1 示談契約の締結

被告菅原は、昭和五六年九月一五日に原告菊池との間で、同原告のじん肺罹患に関して次のとおり示談契約を締結し、これに基づき、同月一六日同原告に対し、示談金として一二〇万円の支払をしたから、同原告の損害賠償請求権は消滅したものというべきである。

2 示談契約の内容

(一) 原告菊池は、昭和五六年九月三〇日被告菅原を円満退社する。

(二) 被告菅原は原告菊池に対し、昭和五六年九月一六日までにじん肺罹患に伴う一切の解決金として金一二〇万円を支払う。

(三) 原告菊池は、右金員を受領することにより、被告菅原及び被告日鉄に対し、将来の症状の変化にかかわらず今後一切の請求をしない。

五 原告らのじん肺管理区分の決定が誤りであることについて

原告らは、いずれもじん肺管理区分の管理四の決定を受けたと主張しているが、仮にこれが事実だとしても、原告らのエックス線写真の像及び肺機能の状態等に照らせば、右決定は誤りであるから、管理四を前提にその損害額を算定することは相当でないというべきである。その詳細については、被告日鉄の主張と同様である。

六 過失相殺

使用者が労働者に対し、事故発生を防止すべき安全配慮義務を負っているとしても、このことは、労働者が自己の安全を守るための基本的な注意を払うべき義務を免れされるものでないことは明らかであるところ、原告らのじん肺罹患については、原告ら自身にも過失があるものというべきであるから、原告らの損害賠償の額を定めるにあたっては、これらの過失が斟酌されるべきである。その詳細については、被告日鉄の主張と同様である。

七 損益相殺

原告らは、じん肺に罹患したことにより、労災保険法及び厚生年金法に基づき現に保険給付を受けており、右保険給付は将来も継続して行われるものであるから、これらの保険給付はすべて原告らの損害の填補に充てられるべきである。また、原告後藤は日本ロックからじん肺罹患に伴う損害賠償として三〇〇万円の支払を受けているから、右金額は同原告の損害の填補に充てられるべきである。

なお、詳細については、被告日鉄の主張と同様である。

第四  被告らの主張に対する認否及び反論

(被告日鉄の主張に対し)

一 被告日鉄の主張一(使用関係の不存在)について

1 1(松尾採石所における各種作業の分担)の主張中、(一)ないし(三)は認めるが、(四)及び(五)は不知ないし否認し、原告と被告日鉄との間に実質上の使用関係もなかったとの主張は争う。

2 2(実質的使用関係の不存在)の主張は不知ないし否認する。

3 3(請負業者の従業員に対する指導監督)の主張は、被告日鉄から原告らに対し、しばしば直接に浮石を落とすようにとの作業命令がなされたことは認めるが、その余は不知ないし否認する。

二 被告日鉄の主張二(安全配慮義務の履行)について

1 1(粉じん濃度の測定)の主張は争う。

坑内労働に伴う粉じんの発生は避けることができないものであり、防じん対策が完全に実施されなければ、坑内労働に従事する労働者がじん肺に罹患することは周知の事実である。じん肺に罹患することが、原告ら坑内労働者の生命・身体という絶対的な価値を侵すものであることに照らせば、被告日鉄がなすべき防じん対策は万全の措置でなければならない。けだし、労働者は粉じん発生の防止、粉じん吸入回避の手段方法を持たず、防じん対策は施設を管理し、労働者を指揮監督する被告日鉄によってこそ可能であるからである。そして、最高の技術・設備をもってしてもなお労働者の生命・身体に危害を及ぼすおそれがある場合には、事業の操業短縮はもちろん、操業停止までもが要求されるものであって、被告日鉄主張のように、技術的な限界や坑内環境の特殊性からくる制限を理由に労働者をじん肺に罹患させることが許されるものではなく、また、被告日鉄が負うべき安全配慮義務の内容は、会社の採算であるとか、他の粉じん企業のじん肺対策がどの程度のものであるとかの事情によって左右されるものではない。

被告日鉄は、坑内作業場については法律上粉じん濃度の測定義務がないと主張するが、労働安全衛生法及び同法施行令が坑外の屋内作業場について粉じん濃度の測定義務を規定しているからといって、右規定の反対解釈により、坑内作業場の粉じん濃度測定義務が免除されていると解すべきではなく、同被告は、その安全配慮義務に基づき、法律上粉じん濃度の測定義務を負っているものであり、坑内作業場である松尾採石所においても技術的に可能である限り、これを測定すべき義務があるものというべきである。

なるほど、被告日鉄主張のように、粉じんの許容濃度については、法的規定こそ存しないが、昭和二三年に労働省が出した粉じんを含む有害作業及び制限濃度に関する通達や、昭和四四年に日本産業衛生学会が発表した「粉じんの許容濃度に関する勧告」においては、「有害な粉じん濃度」についての研究成果が報告されており、同被告においても、このような情報をもとに最善の防じん対策をとりえたものである。しかるに、同被告主張にかかる日時、場所、頻度において粉じん濃度の測定が行われた事実はなく、同被告の安全配慮義務違反は明らかである。

2 2(粉じん抑制・希釈排出措置)について

(一) 2(一)の主張中、(1)ア、(2)のうちの松尾採石所に三本の通気立坑が存在したこと、各通気立坑の設置箇所、各通気立坑に扇風機が設置されていたこと、局部扇風機が主要坑道と切羽坑道の掘進作業現場に設置され、切羽坑道に設置されていた局部扇風機には風管が接続されていたこと、発破時に削岩機のエアーホースをはずしてエアーを放出したことがあったこと、補助扇風機が一部に設置されていたことはいずれも認めるが、その余は不知ないし否認し、被告日鉄が松尾採石所の坑内採掘現場に適正な通気系統を確立し、各坑内作業箇所に十分な通気を供給していたとの主張は争う。

(二) 2(二)の主張中、冒頭部分のうちの粉じん防止対策に水の使用が広く行われ、欠くことができないこと、坑内における粉じん対策として、通気、削岩機の湿式化、散水、防じんマスクなどの方法がとられてきたこと、松尾採石所において湿式削岩機が使用されていたこと、(1)のうちの湿式削岩機の構造に関する部分、湿式削岩機への給水方法に関する部分、(2)のうちの松尾採石所において長孔用湿式削岩機及び坑道掘進用湿式削岩機が使用されていたこと、坑内に配水管が敷設されていたことはいずれも認めるが、その余は不知ないし否認する。

(三) 2(三)の主張中、(2)のうちのウォーターホースにより発破後散水が行われたことは認めるが、その余は不知ないし否認する。

(四) 2(四)の主張は不知ないし否認する。

3 3(粉じん遮断対策)の主張中、(一)は認めるが、その余は不知ないし否認する。

4 4(作業環境と労働条件)の主張中、(一)のうちの坑内温度に関する部分は認めるが、その余は不知ないし否認し、松尾採石所における作業環境及び労働条件が極めて良好であったとの主張は争う。

5 5(安全衛生教育)の主張中、(一)(二)は認めるが、その余は不知ないし否認する。

6 6(健康管理対策)の主張中、(一)のうちの(3)と(4)、(二)のうちの(2)の定期健康診断が昭和四七年ころから約三年に一回実施されたことと(5)、(三)のうちの(1)の健康診断が所定時間内に事業所に働く労働者について一斉に行われていたことと、(2)の実施要領の伝達が受診労働者に行われていたことはいずれも認めるが、その余は不知ないし否認する。

7 7(被告日鉄の原告らに対する安全配慮義務の内容・程度について)の主張は争う。

三 被告日鉄の主張三(原告らの損害と労災保険法との関係)について

被告日鉄の主張三は争う。

四 被告日鉄の主張四(「許された危険」の法理と安全配慮義務との関係)について

被告日鉄の主張四は争う。

五 被告日鉄の主張五(被告日鉄の限定責任)について

被告日鉄の主張五は争う。

被告日鉄は、衡平の原理等を援用して損害賠償額の減額を主張するが、衡平の原理からは、じん肺罹患者の被った被害の全額賠償こそ求められても、その減額は許されない。けだし、一方に企業の安全配慮義務違反があり、他方に被害者らのじん肺罹患という事実があるとき、そこにおいてまず第一に図られるべき衡平とは、加害企業と被害者との間の衡平、すなわち、被害者に対する迅速な被害回復にほかならず、加害企業間の衡平はあくまでも二次的・補充的な原理というべきであるからである。したがって、仮に、当該加害企業以外にじん肺罹患になんらかの影響を及ぼした企業があったとしても、まず第一に救済されるべきはじん肺罹患者であり、加害企業間の衡平は、被害者に対する被害回復を行ったうえで、他企業への求償権を行使することによって図られるべきである。

六 被告日鉄の主張六(原告らのじん肺管理区分の決定が誤りであるとの主張)について

被告日鉄の主張六は争う。

七 被告日鉄の主張七(過失相殺)について

被告日鉄の主張七は争う。

八 被告日鉄の主張八(損益相殺)について

被告日鉄の主張八については、原告らが別紙公的給付受給額一覧表記載のとおり、労災保険法に基づく休業補償給付及び傷病補償年金並びに厚生年金法に基づく障害年金の支給を受けたこと、原告菊池が被告菅原を退職した後の当面の生活費として一二〇万円の支払を受けたこと、原告後藤が日本ロックに対する訴えを取り下げるにあたり、同被告から見舞金として同原告の妻である後藤カツに対し二〇〇万円、同原告の子である後藤辰郎に対し一〇〇万円の支払があったことは認めるが、その余は否認ないし争う。

なお、右保険給付の合計額は、原告岩元が三四四一万五三一九円、原告菊池が二一五三万三二八三円、原告後藤が一九五一万〇四三五円である。

1 労災保険法に基づく給付について

(一) 労災保険給付の非控除

労災保険制度と損害賠償制度とは、本来その制度目的を異にするものであって、労災保険給付を原告らの損害額から控除することは許されない。すなわち、労災保険制度は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべき労働条件の最低基準を定立し、かつ、業務上であることを唯一の要件として法定の補償を行うこととして、資本主義生産のもとで使用者に従属し、社会法則的にその犠牲とされる労働者及びその遺族の生活を使用者に保護させることとした労働基準法上の法定補償制度について、保険制度を利用することにより、集団としての使用者の責任の拡充・徹底を図るとともに被災者(労働者及びその遺族)の生活確保を図ることを目的として創設されたものであり、被災者の損害の填補のみを目的とする制度ではない。これに対して、民法上の損害賠償制度は、市民相互間において発生した損害に関し、これを填補しその公平な分担を行うことを目的とする制度である。このように、両者は本来相互補完の関係にはなく、その目的の違いからしても、両制度による二重の利益を相互に排斥する関係にはない。労働基準法八四条二項の規定も、両者の相互補完の関係を肯定して両制度による二重の利益を排除した規定とみるべきではなく、公平の原則上労災職業病という同一事由による使用者の二重の不利益を防止するための規定と解すべきものである。

したがって、使用者行為災害の場合において、労災保険法に基づく給付があったとしても、それは直接には被災者の損害の填補を目的とするものではなく、しかも使用者に二重の不利益があるわけでもないから、これを控除することは許されないものというべきである。

(二) 将来の給付分について

(一)の主張が認められないとしても、判例(最高裁昭和五二年一〇月二五日判決)に照らし、将来の給付分を控除することは許されない。

(三) 特別支給金について

原告らに支払われる特別支給金(休業特別支給金、傷病特別支給金、長期傷病特別支給金、障害特別支給金等)は、労働者災害補償保険特別支給金支給規則(以下「特別支給金規則」という。)三条及び四条に基づいて支給されるものであるが、これらの特別支給金に関する制度は、災害補償そのものではなく、むしろ、療養生活援護金(休業特別支給金、長期傷病特別支給金)としての色彩が濃いものであり、被災労働者らの福祉の増進を図ったものである。また、労災保険法一二条の四は、代位の原因となる給付について特別支給金の給付を除外して保険給付に限っており、労災保険のもとで特別支給金が損害賠償との調整の対象とならないことを定めているから、これらに照らせば、特別支給金を控除することが許されないことは明らかである。

2 厚生年金法に基づく給付について

(一) 厚生年金の非控除

厚生年金は、正に生活保障を目的とする社会保険であり、到底損害の填補といえる性質のものではなく、しかも保険料の半額は労働者がこれを負担するものであるから、これを控除することは許されない。

(二) 将来の給付分について

(一)の主張が認められないとしても、判例(最高裁昭和五二年一〇月二五日判決)に照らし、将来の給付分を控除することは許されない。

(三) 老齢厚生年金について

(一)の主張が認められないとしても、厚生年金法三二条一号に定める老齢厚生年金(同法四二条)は、同法に定める一定の被保険者期間等を満たしている場合に、当然に労働者(被保険者)又はその遺族が受給資格を取得するものであって、労働者が使用者の事業(作業)に従事中の傷病によって受給するものではない。すなわち、健康な者でもそうでない者でも、右の要件を満たせば老齢厚生年金の受給権者となりうるのである。

したがって、原告らが受給している老齢厚生年金は、原告らが本訴で主張しているじん肺罹患とは全く関係がなく、右の要件を満たしたことによって受給しているものであるから、これを控除することは到底許されないものというべきである。

(被告菅原の主張に対し)

一 被告菅原の主張一(安全配慮義務の履行)について

被告菅原の主張一はすべて否認ないし争う。

二 被告菅原の主張二(原告らの損害と労災保険法との関係)について

被告菅原の主張二は、被告日鉄の主張三と同様であるから、同被告の主張に対する認否と同じである。

三 被告菅原の主張三(被告菅原の限定責任)について

被告菅原の主張三は、被告日鉄の主張五と同様であるから、同被告の主張に対する認否と同じである。

四 被告菅原の主張四(示談契約の締結による損害賠償請求権の消滅)について

被告菅原の主張四は、原告菊池が被告菅原を退社した後の当面の生活費として一二〇万円の支払を受けたことは認め、その余は否認ないし争う。

五 被告菅原の主張五(原告らのじん肺管理区分の決定が誤りであるとの主張)について

被告菅原の主張五は、被告日鉄の主張六と同様であるから、同被告日鉄の主張に対する認否と同じである。

六 被告菅原の主張六(過失相殺)について

被告菅原の主張六は、被告日鉄の主張七と同様であるから、同被告の主張に対する認否と同じである。

七 被告菅原の主張七(損益相殺)について

被告菅原の主張七は、被告日鉄の主張八と同様であるから、同被告の主張に対する認否と同じである。

第三章  証拠〈省略〉

理由

一  当事者

請求原因一の1(一)及び2(一)ないし(三)の事実はいずれも原告らと被告日鉄との間において争いがなく、同一の1(二)及び2(一)ないし(三)の事実はいずれも原告らと被告菅原との間において争いがない。

二  松尾採石所の概要

〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができる。証人長本幹郎及び同木原英昭の各証言並びに被告菅原代表者本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、その余の前掲各証拠と対比して採用することができず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

1  松尾採石所開発の経緯

被告日鉄は、昭和三〇年代半ばころから、一般道路の整備、国土縦貫高速道路の新設、東海道新幹線の建設、東京オリンピック開催等のための各種工事により砕石需要が急増したことに伴って砕石業への進出を図ることとし、昭和三五年ころから本社採鉱部より各事業所に対し砕石事業の開発を指示し、昭和三七年八月には本社に砕石開発班を設けて同部門進出への体制整備を図り、北海道の藤野採石所をはじめ各地に砕石生産設備を設けて砕石生産を開始した。同被告は、このような砕石事業進出計画の一環として、主に首都圏における砕石需要に応えるため、昭和三六年ころから東京都西多摩郡日の出村において地質調査及び試錐調査を進めていたが、昭和三九年一〇月からの探査坑道の掘削により良質な硬質砂岩の存在が確認されるに至ったため、昭和四一年三月採石権を得て東京都西多摩郡日の出町大字大久野四四七三番地に松尾採石所を設置し、昭和四〇年七月ころから準備作業にとりかかり、昭和四二年一〇月ころから生産を開始した。

2  松尾採石所における採掘法

松尾採石所開設前の採石現場における採掘法としては、樹木を伐採したうえで、山の表面から採掘を行っていく方法(露天掘り法)が採られるのが一般的であったが、被告日鉄は、同採石所の所在地が多摩秩父国立公園の一部に属し、自然公園法に基づいて指定された特別地域に隣接していることから、自然環境の保全を考慮し、また周辺住民からの要請もあって、松尾採石所においては、基本的な採掘法として我が国では初めて坑内採掘法を採用することとし、そのうえで岩帯の大きな地域に適するといわれる中段採掘法により採掘を進めることとした。

松尾採石所において採られた中段採掘法の内容は概ね次のとおりである。すなわち、(一)別紙採掘鉱画模式図(1)記載のように、まず〈1〉坑口から主要坑道(加背の幅六メートル、高さ五メートル)を設け、これに垂直に通気立坑を設ける。〈2〉右主要坑道の左右両側にこれとほぼ直角に何本かの切羽坑道(加背の幅六メートル、高さ五メートル)を設ける。〈3〉右切羽坑道の左右両側にこれとほぼ直角に何本かの積込坑道(加背の幅・高さとも四メートル)を設ける。〈4〉各積込坑道とほぼ直角に接し、右切羽坑道と平行にルーム坑道(加背の幅・高さとも三メートル)を設ける。(二)次いで同図(2)記載のように、〈5〉右通気立坑に接し、主要坑道、切羽坑道及び積込坑道より一段高い位置に、主要坑道とほぼ平行に屋根段中坑(加背の幅二メートル、高さ二・五メートル)を設け、更にその上方に同じようにして一段中坑を、更にその上方に二段中坑をといったように、順次上方に各段の中坑(加背の幅・高さはいずれも屋根段中坑と同じ)を設ける。〈6〉屋根段中坑とほぼ直角に屋根段サブ坑道(加背の幅・高さとも三メートル)を設け、これと右ルーム坑道とが接続するようにずり坑井を設ける。(三)さらに同図(3)及び(4)記載のように、〈7〉一段中坑とほぼ直角に一段サブ坑道を、二段中坑とほぼ直角に二段サブ坑道をといったように、順次各段にサブ坑道(加背の幅・高さはいずれも屋根段サブ坑道と同じ)を設け、屋根段サブ坑道と各段のサブ坑道とが接続するように、屋根段サブ坑道から上方にずり坑井を延長する。〈8〉各段のサブ坑道と直角に各段の拡大坑(加背はいずれも幅・高さとも三メートル)を設ける一方、最奥部のルーム坑道から上方に、各段の拡大坑に接するようにしてスロット切り上がり(加背の縦・横とも二メートル)を設ける。(四)そして、同図(5)記載のように、〈9〉ルーム坑道内の自由面に対し長孔穿孔、長孔発破を行って空間を広げたうえで、更にスロット切り上がり及び拡大坑を利用し、最奥部からサブ坑道に沿ってほぼ中坑に至るまで順次長孔穿孔、長孔発破を繰り返して砕石を行い、一つの鉱画を形成する。(五)右と同様の手順で複数の鉱画を形成するというものである。

主要坑道は砕石を運搬するための坑道であり、各段の中坑は通気立坑及び各段のサブ坑道と接続し、鉱画を形成するうえで基幹となる坑道で、通気のための基幹坑道でもある。そして、ルーム坑道は発破の効果が十分に得られるような空間を作るための坑道で、サブ坑道は長孔穿孔のための坑道であり、ずり坑井は最下部の各種坑道(主要坑道、切羽坑道及び積込坑道)と屋根段サブ坑道との通気経路として、また、屋根段サブ坑道の掘進の際に排出されるずりを最下段まで落下させて処理するために設けられる坑井である。

3  松尾採石所における作業の内容と粉じんの発生

松尾採石所における作業の内容は、右の中段採掘法の作業工程に従い、〈1〉主要坑道、切羽坑道、積込坑道、ルーム坑道、中坑、サブ坑道等の各種坑道掘進作業、〈2〉通気立坑、ずり坑井、スロット切り上がり等の立坑掘進作業、〈3〉掘進ずりの積込み・運搬作業、〈4〉長孔穿孔・発破作業、〈5〉採掘原石の小割作業、〈6〉採掘原石の積込み・運搬作業、〈7〉その他の雑作業等に分けられるが、各作業の内容は概ね次のとおりであり、いずれの作業においても粉じんが発生した。

(一)  各種坑道及び立坑の掘進作業

各種坑道及び立坑の掘進作業(以下「坑道等掘進作業」という。)は、岩盤に削岩機で数十個の孔をあけたうえ(これを「穿孔作業」という。)、この孔にダイナマイトを装填して爆破し(これを「発破作業」という。)、岩石を破砕する作業である。まず、穿孔作業は、湿式削岩機を使用し、ロッドの先端に取り付けられたビットを岩盤に押しあてて回転させることにより、右ビットで岩盤を削って穿孔するものであるところ、作業時に手元のハンドルを操作することによりロッドの中を通して圧力水を孔内に注入することができるため、従来の乾式削岩機を使用した場合に比較して、穿孔時に発生する粉じんの量をかなり抑制することはできたが、なおも目に見えない微細な粉じんの発生を抑制するまでには至らず、これは穿孔前に散水が行われたときも同様で、作業時にはこのような微細な粉じんが発生した。また、発破作業は、穿孔終了後各作業員が随時行っていたものであるが、ダイナマイトを爆破させるというその作業内容自体からみても、この作業に伴い多量の粉じんが発生し、発破後に削岩機のウォーターホースを取り外して散水が行われたこともあったが、それでもなお切羽付近には相当の量の粉じんが浮遊していた。

(二)  掘進ずりの積込み・運搬作業

掘進ずりの積込み・運搬作業は、右掘進作業により破砕された岩石を、屋根段以上のサブ坑道等においてはスラッシャーのバケットで掻いてずり坑井等の立坑から最下段の坑道まで落とし、最下段の主要坑道等においてはトラクターショベル又はブルドーザーでダンプトラックに積み込んで坑外に搬出する作業である。右の穿孔・発破作業により破砕された岩石は、ずりとなって切羽周辺に堆積したが、まず、これをスラッシャーのバケットで掻き寄せる際に粉じんが発生したのみならず、掻き寄せたずりを立坑から最下段の坑道まで落下させる際にも、ずりが拡散し、あるいは最下段まで落下したずりが跳ね返ってかなりの量の粉じんが発生した。前示のように、発破後には散水が行われたこともあったが、それでもなお右粉じんの発生を抑制するまでには至らなかった。また、最下段の主要坑道等においてずりをショベルローダー又はブルドーザーでダンプトラックに積み込む際も同様で、ずりをすくい上げるとき、あるいはそれをダンプトラックに落とすときに相当の量の粉じんが発生した。昭和五五年一二月には、積込坑道の一部(六鉱画の積込坑道)にスプリンクラーが設置され、ずり山が崩れたときなどに散水が行われたこともあったが、これによっても右粉じんを抑制するまでには至らなかった。

(三)  長孔穿孔・発破作業

長孔穿孔作業は、ルーム坑道、拡大坑、サブ坑道等において、削岩機を使用して岩盤に直径約五センチメートル、長さ約一〇メートルないし二〇メートルの孔を穿つ作業であり、発破作業は、右穿孔作業により形成された坑にダイナマイトを装填して爆破し、岩石を破砕する作業である。右の坑道掘進作業における穿孔・発破作業とは主にその作業規模において異なり、穿孔・発破のいずれの点でも長孔作業の方がはるかに規模の大きなものであるが、穿孔・発破の作業を繰り返すという点では同様であるから、坑道等掘進作業と同様にこの作業においても粉じんが発生し、規模が大きいだけにより多くの粉じんが発生した。

(四)  採掘原石の小割作業

採掘原石の小割作業は、右長孔穿孔・発破作業により破砕された岩石のうちの大きなものに、削岩機で孔をあけたうえ、この孔にダイナマイトを装填して爆破し小さく砕く作業(坑内の場合)である。採掘原石の小割は、後述するように、坑外に設けられた第一次破砕場においても行われたが、第一次破砕場では主にクラッシャーと呼ばれる破砕機を使用して小割が行われた。坑内における小割作業の内容は右の坑道等掘進作業における発破作業と同様であるから、その作業に伴い粉じんが発生したことも、坑道等掘進作業の項において述べたのと同様である。

(五)  採掘原石の積込み・運搬作業

採掘原石の積込み・運搬作業は、右長孔穿孔・発破作業により破砕された岩石を、掘進ずりの積込み・運搬作業と同様に、屋根段以上の坑道においてはスラッシャーのバケットで掻いてずり坑井等から最下段の坑道まで落とし、最下段の主要坑道等においてはトラクターショベル又はブルドーザーでダンプトラックに積み込んで坑外に搬出する作業である。したがって、その作業の内容は掘進ずりの積込み・運搬作業と同様であり、また、坑内においては掘進ずりと採掘原石とで厳密に区別されて処理されていたわけではないので、その作業に伴い粉じんが発生したことは、掘進ずりの積込み・運搬作業の項において述べたのと同様である。

4  松尾採石所の設備及び生産工程

被告日鉄は、このような一連の作業によって得られた原石を処理するため、坑口付近に、詰所、貯石ビン、軽油タンク、火薬庫、配電室、ビット研磨所、機械修理場等の設備を設けたのをはじめ、昭和四四年一月には第一次破砕場を設置してプラント化し、更にここから約一一キロメートル離れた東京都西多摩郡日の出町大字平井には事務所とともに第二次破砕場を設置していた。前記諸作業によって得られた原石は、〈1〉まず第一次破砕場において主にクラッシャーにより直径三〇ミリメートルないし一五〇ミリメートルの大きさに粗砕され、〈2〉そのうえで第二次破砕場まで運搬され、〈3〉ここで更にクラッシャー等により各種成品の大きさに破砕され、〈4〉成品ごとに分けられて貯蔵され、〈5〉注文に応じて出荷されるという工程となっていた。

5  松尾採石所の岩石の性質

松尾採石所において採掘される岩石は、硬質砂岩で秩父古生層中の中粒ないし細粒砂岩であり、部分的に粘板岩の角礫を有するものがあり、まれには粘板岩の薄層に炭質物が挟在するものであった。また、その遊離けい酸の含有率の平均率は三〇・七パーセントであった。

6  松尾採石所における組織体制

松尾採石所における組織体制の概要は次のとおりである。すなわち、被告日鉄は、所長、次長のもとに、主に健康管理を担当する総務係長と主に現場の安全衛生を担当する採石係長とを配置し、総務係長のもとには総務、経理、販売等事務系全般を担当する係員を、また採石係長のもとには坑内、プラント、電気・機械等現場作業全般を担当する係員をそれぞれ配置し、更に現場作業を担当する係員のもとには採掘、坑内運搬、監視、保守管理等を担当する直轄作業員を配置して現場作業にあたらせる一方、坑道掘進、積込み・運搬、長孔穿孔・発破、採掘原石の小割等の各種現場作業については、昭和四三年二月ころまでは株式会社熊谷組との間で一括請負契約を締結し、その後は被告菅原をはじめ、株式会社時田組、有限会社小塚重機等の請負組との間でそれぞれ請負契約を締結し、これらの請負組の従業員をして右作業にあたらせていた。

7  被告日鉄と被告菅原との間の請負契約

被告菅原は、松尾採石所開設当初から請負組の一つとして現場作業に従事していた陸丸工業が昭和四三年一月に同採石所を撤退したのに伴い、原告らと同じように陸丸工業の一従業員として現場作業に従事していた菅原実が、昭和四四年六月に出資金三〇万円で設立した合名会社であり、前示のように、株式会社時田組、有限会社小塚重機等とともに被告日鉄との間で請負契約を締結し、坑道掘進、積込み・運搬、長孔穿孔・発破、採掘原石の小割等の現場作業に従事していたものである。被告菅原と被告日鉄との間の本件基本契約においては、被告菅原は、同契約とこれをもとに個別に定められる件別契約とに基づき、被告日鉄又は同被告の係員の指示に従って、同被告の提出する工事仕様書、設計書及び図面のとおり誠実に工事を行わなければならず(本件基本契約二条一項)、かつ、本件基本契約、件別契約、工事仕様書、設計書及び図面その他の事項について疑義が生じたときには、被告日鉄の解釈又は指示に従わなければならないものとされており(本件基本契約二条二項)、更に工事施工のために必要な機器、材料及び事務所宿舎等は、原則として被告菅原の負担とするものとされていたが(本件基本契約一二条)、現実に被告菅原の方で用意して従業員に支給していたのは、ロッド、ビット、保安帽、保安靴、作業着及び防じんマスク等にすぎず、ダンプトラック、タイヤショベル、スラッシャー、削岩機、発破機、発破母線その他の主要な機器は、すべて被告日鉄から支給を受けて従業員に提供していた。

三  じん肺の病像等について

〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができ、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

1  じん肺の病像等について

(一)  じん肺とは、臨床病理学的には、「各種粉じんの吸入によって胸部エックス線に異常粒状影、線状影が現れ、進行に伴って肺機能の低下を来し、肺性心にまで至る、剖検すると粉じん性線維化巣、気管支炎、肺気腫を認め、血管変化をも伴う肺疾患である。」と定義することができる。したがって、じん肺はその原因となる粉じんの種類に従って類別することができ、主なものとして、遊離けい酸を原因物資とするけい肺、石綿を原因物質とする石綿肺、滑石を原因物質とする滑石肺、石炭を原因物質とする炭肺等をあげることができる。

(二)  粉じんの有害性を左右する因子としては、〈1〉粉じんの化学的組成、〈2〉粉じんの粒径、〈3〉粉じんの吸入量、〈4〉人体側の要因等があげられる。〈1〉無機粉じんは一般にじん肺を起こすとされている。〈2〉粉じんの沈着する部位は粉じんの粒径によって左右されるが、肺の疾病の関連の深い肺組織への沈着率と粉じんの粒径との関係については、二ミクロン付近のものがもっとも高い沈着率を示すとされており、また、じん肺(ただし、石綿肺を除く。以下同じ。)を起こす粉じんは主に肺胞や呼吸細気管支に到達する五ミクロン以下の粒径の粉じんであると考えられている。〈3〉じん肺の場合も、一般に吸入した粉じんの量が多ければ多いほど重篤になるといわれているが、遊離けい酸の含有率の高い粉じんによって起こるけい肺の場合には、吸入した粉じんの量だけでなく、遊離けい酸の含有率が高いほど重篤化することが知られている。〈4〉同じような暴露条件のもとであっても、人間の側の要因によって健康障害の病像や程度が異なってくることが知られており、これらの要因としては性、年齢、体質、習慣、健康状態等の種々の要因があげられる。じん肺の場合でも、粉じんによる暴露年齢とじん肺発症との間には関連性があるとされている。

(三)  じん肺の病理機序は次のとおりである。すなわち、呼吸とともに吸入された粉じんは、一部は気管支に付着し気管支粘膜の上皮細胞の繊毛の働きで痰に混じって再喀出されるが、肺胞内に達すると粉じんを感じて肺胞壁から出てくる喰細胞によりその細胞内に取り込まれ、粉じんを取り込んだ喰細胞は肺間質のリンパ管に入り、リンパ腺に運ばれてここに蓄積される。けい酸分を多く含んだ粉じんの場合は、リンパ腺に蓄積された粉じんは更にリンパ腺の細胞を増殖させ、その結果、正常な細胞が壊れて膠原線維(綿維状の一種の蛋白質で場所をふさいだり細胞を支持する役割しか果たすことができないもの)が増加し、線維で置き換えられたリンパ腺はリンパ球の生産、有害物の除去、免疫体の生産等、その本来の機能を果たすことができなくなる。リンパ腺がこのように閉塞されてしまった後に吸入された粉じんは、肺胞腔内に蓄積されることとなるが、その蓄積とともにやがて肺胞壁が壊れ、そこから線維芽細胞という線維を作る細胞が出てきて肺胞腔内にも線維ができ、固い結節(これを「じん肺結節」という。)ができる。けい酸分を多く含んだ粉じん以外の粉じんは、前者に比べてリンパ腺に運ばれにくいものが多く、初めから右のような肺胞腔内の線維増殖性変化を主体とするものがある。じん肺結節の大きさは、〇・五ミリメートルないし五ミリメートル以上にわたるが、吸じん量が増えるに従い粉じん結節の大きさも数も増えていき、最後には融合して手拳大の塊状巣(これを「粉じん性線維化巣」という。)を作る。じん肺結節が増大するということは、その領域の肺胞壁が閉塞することであり、粉じん性線維化巣の中ではかなり大きな気管支や血管も狭窄したり閉塞したりする。このような肺胞腔内の線維化が進行する一方で、肺胞腔内に入る粉じんは当然気管支を通過することから、気管支に常時刺激を与えることとなり、気管支変化をももたらす。このようにして慢性気管支炎を生じるのみでなく、細気管支腔が狭くなり、呼吸時における気道の抵抗が大きくなると、末梢の肺胞壁に負担がかかり、次第に肺胞の壁が壊れてきて肺胞腔が拡大し、肺気腫を生じる。正常の肺胞の直径が〇・三ミリメートルないし〇・五ミリメートルであるのに対し、肺気腫になった肺胞の直径は一ミリメートルを超えて、ときには一〇〇ミリメートルにも達する。肺気腫を生じると、気腫壁にはほとんど血管がないから、空気が入ってきてもガス交換を行うことができなくなる。また、この間、血管の変化も漸増して循環障害が起こり、心臓への負担を増大させて肺性心にまで至る。

(四)  以上の病理機序でも明らかなように、じん肺の基本的病態は、〈1〉リンパ腺の粉じん結節、〈2〉肺野の粉じん結節、〈3〉気管支炎、細気管支炎、肺胞炎、〈4〉肺組織の変性、壊死、〈5〉肺気腫、〈6〉肺内血管変化、〈7〉肺性心であり、これらの変化が一連のものとして発生し、同時並行的に進行する。そして、これらの基本的病態に伴って、肺結核、肺炎、続発性気胸等の肺疾患をはじめ、消化管の潰瘍、虚血性心疾患、腎臓・肝臓の障害等さまざまな合併症が現れ、肺機能だけでなく身体の諸部位に障害が現れるに至り、じん肺症状が進行を続けると、右の肺性心により、又は肺結核等の合併症を併発することにより死亡することも少なくない。

(五)  じん肺は、〈1〉初期の段階の気管支炎等、気管支変化に対しては治療効果があるが、進行した気管支変化、粉じん性線維化巣、肺気腫、血管変化に対しては元の状態に戻す治療方法がない不可逆性の疾患である、〈2〉粉じん職場での就労を継続するとその間病変が進行するというだけでなく、粉じん職場を離れ粉じんの吸入が止んだ後も吸入した粉じんの量に対応して病変が増悪する進行性の疾患である、〈3〉慢性の酸素不足により各種臓器に慢性的な酸素不足が生ずるのみならず、粉じんの種類によっては長い間に肺から全身の臓器に粉じんが分布し機能障害を起こすことがある全身性の疾患であるとの特徴がある。

2  じん肺の歴史-粉じんが「知られた危険」であること

(一)  前示のような病理機序や基本的病態が医学的に明らかにされたのは比較的最近のことであるが、じん肺は最古の職業病であるといわれ、粉じんの吸入が肺疾患をもたらすということは古くから知られていた。すなわち、じん肺症状に関する記述は、古く紀元前にまでさかのぼり、古代ギリシャの医師ヒポクラテスが鉱夫の呼吸困難について記述したもの、古代ローマの博物学者プリニウスが有害粉じんの吸入を防止するための工夫について記述したものがあるといわれている。また、一六世紀に至ってザクセンのアグリコラは「デ・レ・メタリカ」(一五五六年)を著し、この中で粉じんが肺を侵して肺疾患の原因となることとともに、このような粉じんの吸入を防止するために鉱夫達がマスクを使用したこと等について記述しており、一七世紀にはイタリアのラマッツィーニも「働く人々の病気」(一七〇〇年)を著し、この中で鉱夫を石屋にみられるじん肺症状について記すとともに、このような症状の原因としては、口から吸い込まれて少しずつ溜まった粉じんのほかには何も見い出すことができないと記述している。我が国におけるじん肺に関する記述は、江戸時代に佐渡の医師益田玄晧が「煙毒」と呼ばれていた鉱夫の疾病に対して「紫金丹」という解毒剤を処方したというもの(延宝年間、一六七三年~一六八〇年)、佐渡や生野の鉱山で働く鉱夫は、「煙毒」、「けたへ」、「よろけ」等と呼ばれていた呼吸器障害により、長命の者でも三〇歳余、短命の者は二〇歳余で死亡したというもの、大葛金山の山主が、「よろけ」について石の粉の吸入が原因であると示唆したもの等の記録があり、大葛金山では、その対策として、覆面の考案、うがいの励行、作業量の調整等が行われたとされている。

一八世紀後半からのいわゆる産業革命の進展に伴って、世界的にじん肺の多発が問題とされるようになったが、殊に削岩機の使用により多数の鉱山労働者が「鉱夫肺癆」に倒れた南アフリカ連邦においては、一九〇二年鉱夫結核に対する調査委員会が設けられ、一〇年に及ぶ調査研究の末、一九一一年に「鉱夫(肺癆)扶助法」が制定された。そして、これを機に、先進諸国でじん肺に関する法制化が進められ、一九一八年にイギリスにおいてけい肺に関する特別賠償規定が公布されたほか、オーストリア(一九二〇年)、ドイツ(一九二六年)、カナダのオンタリオ州(一九二六年)等においても、けい肺が賠償疾病として、又は補償の対象として取り扱われることとなり、一九四〇年代に入ると、スペイン(一九四一年)、イタリア(一九四三年)、スイス(一九四四年)、フランス(一九四六年)等においても、けい肺等に対する予防・補償等を内容とする法律が制定されて施行されることとなった。また、この間の一九三〇年には、ILOの斡旋により第一回国際けい肺専門家会議が南アフリカ連邦のヨハネスブルグにおいて開催され、大きさ一〇ミクロン以下の遊離けい酸粉じんを多量に、相当の期間吸入することによって発生するじん肺をけい肺と称する旨の見解が採択され、一九三八年の第二回国際けい肺専門家会議(開催地ジュネーブ)を経て、一九五〇年の第三回(開催地シドニー)からはその名も国際じん肺専門家会議と改称されて、広くじん肺全般を対象とした検討が行われるようになったほか、じん肺の診断にあたって最も重要なエックス線写真の読影及びエックス線像の分類についても専門家による国際的な検討が行われてきた。

(二)  我が国においても、すでに明治、大正の時代から多くの研究者によって主にけい肺を対象としたじん肺に関する医学的研究が進められてきたが、この当時においては、問題の取り上げ方がいまだ部分的・個別的であったために、社会全体の関心をよび起こすまでには至らず、大正五年(一九一六年)には鉱業法施行細則中から労役扶助に関する規定が分離されて「鉱夫労役扶助規則」が施行されたものの、この中ではけい肺は業務上疾病と認められていなかった。これが業務上疾病として認められたのは、昭和五年(一九三〇年)の内務省社会局労働部長から鉱山監督局長宛通牒「鉱夫硅肺及眼球震盪症ノ扶助ニ関スル件」によってであり、この中で、三年以上勤続してけい肺(結核の合併しているものを含む。)にかかった鉱夫については鉱夫労役扶助規則により補償されることとなった。その後、昭和一一年(一九三六年)に工場法施行令及び鉱夫労役扶助規則に規定されている業務上疾病の範囲が改められて、「けい酸を含む粉じんを発散する作業に因る肺結核を伴う、又は伴わざるけい肺」は、鉱山のみならず工場において発生したものについても業務上疾病として取り扱われることとなったが、この当時においても、社会一般のけい肺問題に対する認識は低く、けい肺問題が社会全体の関心をよび、その対策が本格的に推進されるようになったのは、第二次大戦後になってからのことである。すなわち、昭和二二年(一九四七年)に労働保護行政を担当するために労働省が設置され、また労働基準法が制定されて、労働条件の向上、労働者の生命と健康の保持増進が強くうたわれるに及んで、けい肺問題も新しい角度からの検討が加えられることとなった。しかも、これに先立つ昭和二一年(一九四六年)六月には、栃木県足尾町で町民大会が開かれて、けい肺撲滅のために全国的運動を展開することが決議され、これを契機として、全日本金属鉱山労働組合連合会(以下「全鉱連」という。)がけい肺の撲滅を当面の運動目標に取り入れ、また、全鉱連と鉱山経営者との生産協議会である金属鉱山復興会議(以下「復興会議」という。)は、けい肺についての特別法の立法化を目指すこととなった。昭和二三年(一九四八年)には、金属鉱山労使、学識経験者等を構成員とするけい肺対策協議会が労働省内に設置されて、けい肺発生状況の調査、予防思想の普及、巡回検診の実施、けい肺研究所の設置、防じんマスクの試作など各種対策の検討・実施にあたった。復興会議は、同年四月衆議院及び参議院の各議長宛に鉱山労働者のけい肺対策に関する建議書を提出したが、この建議によると、右当時において、日本鉱山労働者のけい肺罹患者数は内輪に見積もっても、全坑内労働者数(二万五〇〇〇人)の約一九パーセント、四八〇〇人、坑外をも加えると約五六〇〇名に達するものと推定されるとされ、また、我が国におけるけい肺に関する研究・対策の遅れが指摘され、〈1〉鉱山労働者のけい肺に関する特別法を制定することによって、鉱山の労働条件の最低限度を定め、健康で安全な労働条件の確立を促すとともに、けい肺の予防、診断、治療及び補償に関しての法的根拠を明示し、もってけい肺問題の抜本的解決の基礎を確立すること、〈2〉けい肺に関する病理学的・臨床医学的研究機関を設置することによって、けい肺の予防、診断、治療及び補償を確実に行えるようにするとともに、その研究成果を整理して、けい肺対策に科学的基準を与え、もって各鉱山を科学的・技術的に啓蒙指導するうえでの中心機関とすることの二点が国家的な緊急課題であり、各鉱山の経営者は、その善意と良識に基づき、誠意をもって労働者の生活の安定と労働条件の改善に向けてその努力を傾倒することにより、労働者の正当なる要求を遺憾なく充足し、労働の犠牲と不幸とを協力排除すべきであるとされていた。そして、このような動きの中からけい肺法制定の気運が高まり、けい肺対策審議会を中心に審議が続けられて、昭和三〇年(一九五五年)けい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法が制定され、さらに昭和三五年(一九六〇年)には旧じん肺法が制定されるに至った。

(三)  旧じん肺法は、「じん肺に関し、適正な予防及び健康管理その他必要な措置を講ずることにより、労働者の健康の保持その他福祉の増進に寄与することを目的」とし(一条)、じん肺健康診断の方法を規定し(二条)、じん肺のエックス線写真像及び健康管理の区分を定めて、この区分に応じた健康管理を行うこととし(四条)、「使用者及び粉じん作業に従事する労働者は、じん肺の予防に関し、労働基準法及び鉱山保安法(昭和二四年法律第七〇号)の規定によるほか、粉じんの発散の抑制、保護具の使用その他について適切な措置を講ずるように努めなければならない。」と規定し(五条)、その他使用者に対し、粉じん作業労働者に対するじん肺に関する教育を行うべき義務を課す規定(六条)、粉じん作業労働者についての健康診断を行うべき義務を課す規定(七条及び八条)等を設けた。

3  改正じん肺法の制定と同法に基づくじん肺管理区分の決定

(一)  旧じん肺法が制定された後の一七年の間、我が国の産業活動の進展に伴い粉じん作業労働者が約六〇万人にも達するなど労働面での変化が見られる一方、じん肺に関する医学的研究にも進歩が見られたので、粉じん作業労働者のより一層の健康管理の充実を図るため、じん肺法の重要な一部が改正され、昭和五三年三月三一日施行されるに至った。右改正の主要な点は、〈1〉じん肺の定義の改正、〈2〉じん肺に係る健康管理の区分の改正及び〈3〉粉じん暴露の低減ないし中止等の健康管理のための措置の充実等である。

(二)  改正じん肺法においては、じん肺のエックス線写真の像は次のとおり第一型から第四型まで区分され(同法四条一項)、粉じん作業に従事する労働者及び粉じん作業に従事する労働者であった者は、じん肺健康診断の結果に基づき、次のとおり管理一から管理四までに区分され(じん肺管理区分)、同法の規定により、健康管理を行うものとされている(同法四条二項)。すなわち、まず、エックス線写真の像については、〈1〉両肺野にじん肺による粒状影又は不整形陰影が少数あり、かつ、大陰影がないと認められるものを第一型、〈2〉両肺野にじん肺による粒状影又は不整形陰影が多数あり、かつ、大陰影がないと認められるものを第二型、〈3〉両肺野にじん肺による粒状影又は不整形陰影が極めて多数あり、かつ、大陰影がないと認められるものを第三型、〈4〉大陰影があると認められるものを第四型とするものとされている。また、じん肺管理区分については、〈1〉じん肺の所見がない、すなわち、エックス線写真の像が第一型以上に該当しないと認められるものを管理一、〈2〉エックス線写真の像が第一型で、じん肺による著しい肺機能の障害がないと認められるものを管理二、〈3〉エックス線写真の像が第二型で、じん肺による著しい肺機能の障害がないと認められるものを管理三イ、〈4〉エックス線写真の像が第三型又は第四型(大陰影の大きさが一側の肺野の三分の一以下のものに限る。)で、じん肺による著しい肺機能の障害がないと認められるものを管理三ロ、〈5〉エックス線写真の像が第四型(大陰影の大きさが一側の肺野の三分の一を超えるものに限る。)と認められるもの、又はエックス線写真の像が第一型、第二型、第三型若しくは第四型(大陰影の大きさが一側の肺野の三分の一以下のものに限る。)で、じん肺による著しい肺機能の障害があると認められるものを管理四とするものとされている。

(三)  エックス線写真の像に関する改正じん肺法の分類は右のとおりであるが、同法三条一項、じん肺法施行規則五条及び労働省の関係通達によると、エックス線写真の像は、病変の進展の判断のほかにも種々の比較検討などのために、更に次のとおり分類されている。すなわち、まず、小陰影の分類として、粒状影のタイプは、主要陰影の径に従って、〈1〉直径一・五ミリメートルまでのものをp、〈2〉直径一・五ミリメートルを超えて三ミリメートルまでのものをq、〈3〉直径三ミリメートルを超えて一〇ミリメートルまでのものをrというように三つに分類され、また、型の区分は、粒状影の密度に応じて、〈1〉両肺野に粒状影があるが少数のものを第一型、〈2〉両肺野に粒状影が多数あるものを第二型、〈3〉両肺野に粒状影が極めて多数あるものを第三型に区分される。次に、小陰影のうちの不整形陰影については、型の区分は、その密度に応じて、〈1〉両肺野に不整形陰影があるが少数のものを第一型、〈2〉両肺野に不整形陰影が多数あるものを第二型、〈3〉両肺野に不整形陰影が極めて多数あるものを第三型に区分される。そして、大陰影については、一つの陰影の長径が一センチメートルを超えるものが大陰影であり、その径に従って、〈1〉陰影が一つの場合にはその最大径が一センチメートルを超え五センチメートルまでのもの、陰影が数個の場合には個々の影が一センチメートル以上でその最大径の和が五センチメートルを超えないものをA、〈2〉陰影が一つ又はそれ以上で、Aを超えており、その面積の和が一側肺野の三分の一(右上肺野相当域)を超えないものをB、〈3〉陰影が一つ又はそれ以上で、その面積の和が一側肺野の三分の一(右上肺野相当域)を超えるものをCというように分類される。ただし、じん肺管理区分に係る大陰影の区分は右Cに該当するか否かの区分で足りる。

(四)  前示のとおり、じん肺管理区分を決定するにあたっては、エックス線写真像の型とともに、「著しい肺機能障害がある」ことが一つの要件とされているが、この判定にあたっては、肺機能検査の結果が重要な指標となる。同法三条一項、じん肺法施行規則五条及び労働省の関係通達等によると、肺機能検査は第一次検査と第二次検査とに分けられ、第一次検査では、スパイロメトリーによる検査とフロー・ボリウム曲線の検査を行い、前者によるパーセント肺活量及び一秒率が、後者により最大呼出位から努力肺活量の二五パーセントの肺気量における最大呼出速度(これを「V25」という。)がそれぞれ求められ、第二次検査では、動脈血ガスを測定する検査を行い、動脈血酸素分圧及び動脈血炭酸ガス分圧が測定され、これらの結果から酸素分圧較差が求められる。第二次検査は、〈1〉自覚症状、他覚所見等から第一次検査の実施が困難と判断された者、〈2〉第一次検査の結果等から「著しい肺機能障害がある」と判定された者以外で、第一次検査の結果が第二次検査を要するとの基準に至っており、かつ、胸部臨床検査の呼吸困難の程度が第[3]度以上の者、〈3〉右〈1〉、〈2〉に該当しない者で、第一次検査の結果が第二次検査を要するとの基準に至っていないが、胸部臨床検査の呼吸困難の程度が第[3]度以上の者、〈4〉右〈1〉ないし〈3〉に該当しないが、エックス線写真の像が第三型又は第四型と診断された者、のいずれかに該当する者について行われるものとされている。そして、これらの検査結果に基づいて「著しい肺機能障害がある」か否かの判定が行われることとなるが、検査結果の判定にあたり、「著しい肺機能障害がある」と判定する基準は次のとおりである。すなわち、まず第一次検査の結果の判定においては、〈1〉パーセント肺活量が六〇パーセント未満の場合、〈2〉一秒率が性別、年齢別に定められた一定の限界値未満の場合、〈3〉V25を身長(単位はメートル)で除した数値(以下「V25/身長」という。)が性別、年齢別に定められた一定の限界値(別紙「限界値一覧表」参照)未満であり、かつ、呼吸困難の程度が第[3]度、第[4]度又は第[5]度の場合、のいずれかに該当する場合には一般的に「著しい肺機能障害がある」と判定するものとし、第二次検査の結果の判定においては、酸素分圧較差の値が年齢別に定められた一定の限界値を超える場合には、諸検査の結果と併せて一般的に「著しい肺機能障害がある」と判定するものとする。しかしながら、右の判定にあたっては、肺機能検査によって得られた数値を右の基準値に機械的にあてはめて判定することなく、エックス線写真の像、既往歴及び過去の健康診断の結果、自覚症状及び臨床所見等を含めて総合的に判断する必要があり、特に、過去の健康診断の記録等から、著しい肺機能障害が持続する状態が疑われる者についての判定にあたっては、従前から行われてきた諸検査の結果を十分参考として、総合的な判定を行う必要があるものとされている。

なお、右のじん肺健康診断の結果に基づき、じん肺管理区分が管理四と決定された者及び合併症にかかっていると認められた者は、療養を要するものとされている(同法二三条)。

四  原告らのじん肺罹患の経緯と現在の症状

〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができ、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

1  原告岩元は、昭和四一年五月ころから松尾採石所において削岩夫として稼働するようになり、昭和四三年一月までは請負組の一つであった陸丸工業の従業員として、また同年二月からは訴外菅原工業の従業員として、さらに昭和四四年六月に被告菅原が設立されてからは同被告の従業員として、坑道及び立坑の掘進、長孔穿孔、小割等の各種作業に従事してきたが、昭和五〇年一〇月二九日西多摩病院においてじん肺特別検診を受けたところ、旧じん肺法に定めるじん肺健康管理区分の管理二と診断された。昭和五一年から昭和五四年まではじん肺特別検診の実施がなく、これを受けないでいたが、昭和五四年ころから、毎日のように咳や痰が出て、食事中にも激しく咳きこんで食べた物を吐き出してしまうようになった。その後、同原告のじん肺症状は更に悪化し、昭和五五年四月三日第一検査センターの巡回検診で第二次検査を要すると診断され、同年六月一六日新宿社会保険診療所において第二次検査を受けたところ、直ちに仕事をやめて療養するようにとの診断を受けたので、松尾採石所を退所して自宅で療養するようになったが、同月一七日西多摩病院においてじん肺特別検診を受けたところ、じん肺管理区分の管理四と診断され、同年八月一五日には東京労働基準局長からじん肺管理区分の管理四の決定を受けるに至った(なお、原告岩元のじん肺の種類はけい肺である。)。そして、昭和五六年七月一五日からは西多摩病院に入院して療養するようになったが、その後も咳や痰が頻繁に出て、胸や背中が激しく痛み、歩行にも困難を来す状態が続いている。

原告岩元の肺の状態は、昭和五五年一一月ころのエックス線写真においては、右の上肺野から中肺野、下肺野にかけて粒状影が見られ、その融合が見込まれる状況にとどまっていたが、昭和六三年五月ころのエックス線写真においては、右の上肺野、中肺野及び下肺野並びに左の上肺野及び下肺野に明らかな粉じん結節の融合陰影が見られ、一側肺野の三分の一以上に結節の融合が認められる状態になっており、松尾採石所退所後もじん肺症状が進行していることが明らかである。

2  原告菊池は、昭和四二年八月ころから松尾採石所において削岩夫として稼働するようになり、原告岩元と同様に、昭和四三年一月までは陸丸工業の従業員として、また同年二月からは訴外菅原工業の従業員として、さらに昭和四四年六月からは被告菅原の従業員として、坑道掘進、立坑掘進、長孔穿孔、小割等の各種作業に従事してきたが、昭和五二年ころから体調が思わしくなくなり、一度風邪をひくと長引くようになった。昭和五四年四月二日第一検査センターの巡回検診で呼吸器に異常があり第二次検査を要すると診断され、昭和五五年九月三〇日にじん肺管理区分の管理二の決定を受けたが、その後も同原告のじん肺症状は悪化し、咳や痰が頻繁に出て、全身の疲労倦怠感も激しくなり、昭和五六年八月六日にはじん肺管理区分の管理三イの決定を受けるに至ったので、同年九月三〇日松尾採石所を退所し自宅で療養するようになった。そして、同年一〇月からは西多摩病院に通院して治療を受けているが、同月三日同病院において診察を受けたところ、じん肺管理区分の管理三ロ及び続発性気管支炎の合併症で、とても仕事のできる体ではないから自宅で療養するようにとの診断を受け、同年一一月二五日には東京労働基準局長からじん肺管理区分の管理三イ及び続発性気管支炎の合併症との決定を受けて療養を要するものとされ、さらに昭和六三年一一月一〇日には同局長からじん肺管理区分の管理四の決定を受けるに至った(なお、原告菊池のじん肺の種類はけい肺である。)。

原告菊池の肺の状態は、昭和五六年一〇月ころのエックス線写真においては、右肺上部にわずかに融合が見られる状況にとどまっていたが、昭和六三年五月ころのエックス線写真においては、右の上肺野から中肺野にかけて粉じん結節の融合陰影が認められるとともに、左の上肺野にも結節の融合が見込まれる状況にあり、さらに両上肺野に肺気腫が現れ、右肺は収縮するに至っており、松尾採石所退所後もじん肺症状が進行していることが明らかである。

3  原告後藤は、昭和四二年七月ころから松尾採石所において削岩夫として稼働するようになり、原告岩元と同様に、昭和四三年一月までは陸丸工業の従業員として、また同年二月からは訴外菅原工業の従業員として、さらに昭和四四年六月からは被告菅原の従業員として、坑道掘進、小割、積込み・運搬等の各種作業に従事してきたが、昭和四八年ころから咳や痰が頻繁に出て力仕事ができないようになり、昭和五〇年一〇月二九日西多摩病院においてじん肺特別検診を受けたところ、旧じん肺法に定めるじん肺健康管理区分の管理三との診断を受けた。同原告は、昭和五二年三月に松尾採石所を退所した後、日本ロック三峰作業所の坑外作業現場で岩石の小割作業に従事するようになったが、同作業所に移ってからもじん肺症状が悪化し、昭和五六年一〇月五日珪肺労災病院職業病検診センターにおいて診察を受けたところ、じん肺管理区分の管理四に該当し、仕事のできる体ではないから自宅で療養するようにとの診断を受けたので、同月一五日から休業して自宅で療養するようになり、同月三一日付で栃木労働基準局長からじん肺管理区分の管理四の決定を受けるに至った(なお、原告後藤のじん肺の種類はけい肺である。)。

原告後藤の肺の状態は、昭和五六年一〇月ころのエックス線写真においては、両肺野に多数の粒状影が見られるとともに、左右の上肺野に粉じん結節の融合陰影が認められたが、その大きさは小陰影区分で第三型(+)、大陰影区分でAにとどまった。しかしながら、昭和六二年には大陰影区分がBに進行し、昭和六三年六月ころのエックス線写真においては、融合陰影が更に大きくなるとともに、左右の肺が収縮するに至っており、明らかにじん肺症状が進行している。

4  なお、被告らは、原告らについてなされたじん肺管理区分の管理四の決定はいずれも誤りであると主張するので、以下この点について検討する。

(一)  まず、原告岩元について検討するに、〈証拠〉によれば、じん肺健康診断の結果、エックス線写真の像が第四型で、しかも大陰影がCであるとして管理四の決定が行われたことが明らかであるところ、〈証拠〉に記載されたエックス線写真による検査の結果、胸部に関する臨床検査の結果、肺機能検査の結果の概要は次のとおりである。〈編注・左下図〉

これらの記載を対比してみると、原告岩元のエックス線写真像においてC型の大陰影を読み取ることができるか否かについては診断にあたった医師により見解を異にするようであり、右エックス線写真の像から直ちに管理四に相当するものと判断することには疑問なしとしないが、前示診断書等の他の記載内容をも勘案すれば、右管理四の診断・決定がなされた当時における原告岩元のじん肺症状は、管理四に相当するものであったということができる。すなわち、甲第四五号証においては、肺機能検査の結果として、V25/身長につき〇・四一と記載されているが、これはその当時の原告岩元の年齢である四九歳(男子)のV25/身長の限界値〇・六五を明らかに下回るものであり、呼吸困難の程度が第[3]度であるとされていることを考え併せれば、前示基準に従って一般的に「著しい肺機能障害がある」と判定してよいものである。また、丙第二六号証の一ないし七においては、肺機能検査の結果として、パーセント肺活量につき四〇・五ないし五七・一と記載されているが、これはいずれも限界値である六〇パーセントを下回るものであるから、前示基準に従えば、この点からも一般的には「著しい肺機能障害がある」と判定してよいものである。もとより、前示のとおり、「著しい肺機能障害がある」か否かの判定にあたっては、肺機能検査によって得られた数値を基準値に機械的にあてはめて判定すべきものではなく、前示のような諸事情、すなわち、エックス線写真の像、既往歴及び過去の健康診断の結果、自覚症状及び臨床所見等の事情を総合的に勘案して判定すべきものであるが、前示診断書等を作成したいずれの医師も、大陰影の区分がCに該当するとし、又は著しい肺機能障害があるとしてはいるものの、前示のような諸事情を総合的に勘案して管理四に相当するものと判定しているのであるから、これらの事情に照らせば、原告岩元のじん肺症状は右管理四の診断・決定がなされた時点において管理四に相当するものであったということができる。

したがって、原告岩元についてなされた管理四の決定が誤りであるとする被告らの主張は採用することができない。

(二)  次に、原告菊池について検討するに、〈証拠〉によれば、じん肺健康診断の結果、エックス線写真の像が第四型(大陰影の区分はB)で、じん肺による著しい肺機能障害があるとして管理四の決定が行われたことが明らかであるところ、〈証拠〉に記載されたエックス線写真による検査の結果、胸部に関する臨床検査の結果、肺機能検査の結果の概要は次のとおりである。〈編注・左上表〉

これらの記載によれば、右管理四の診断・決定がなされた当時における原告菊池のじん肺症状は、管理四に相当するものであったということができる。すなわち、〈証拠〉においては、肺機能検査の結果として、V25/身長につき〇・五三と記載されているが、これはその当時の原告菊池の年齢である五四歳(男子)のV25/身長の限界値〇・六〇を下回るものであり、また、〈証拠〉においては、同じくV25/身長につき〇・四八と記載されているが、これもその当時の原告菊池の年齢である五五歳(男子)のV25/身長の限界値〇・五九を明らかに下回るものである。そして、右のいずれにおいても、呼吸困難の程度は第[3]度であるとされているのであるから、前示基準に従って一般的に「著しい肺機能障害がある」と判定してよいものである。さらに同号証の三ないし五においては、V25/身長の値こそ向上してはいるが、パーセント肺活量はいずれも限界値である六〇パーセント未満となっているのであるから、前示基準に従えば、この点からも一般的には「著しい肺機能障害がある」と判定してよいものである。

被告らは、原告菊池が続発性気管支炎の合併症に罹患していることから、前示診断書に記載された肺機能検査の結果は信用性に乏しく、これを前提に管理四の決定をすることは誤りである旨主張するが、前示認定にかかる諸事情を総合的に勘案すれば、原告菊池のじん肺症状は右管理四の診断・決定がなされた時点において管理四に相当するものであったということができ、被告らの右主張は採用することができない。

(三)  さらに、原告後藤について検討するに、〈証拠〉によれば、じん肺健康診断の結果、エックス線写真の像が第四型(大陰影の区分はA)で、じん肺による著しい肺機能障害があるとして管理四の決定が行われたことが明らかであるところ、〈証拠〉に記載されたエックス線写真による検査の結果、胸部に関する臨床検査の結果、肺機能検査の概要は次のとおりである。〈編注・左下表〉

これらの記載によれば、右管理四の診断・決定がなされた当時における原告後藤のじん肺症状は、管理四に相当するものであったということができる。すなわち、〈証拠〉においては、肺機能検査の結果として、V25/身長につき〇・四九と記載されているが、これはその当時の原告後藤の年齢である五二歳(男子)のV25/身長の限界値〇・六二を明らかに下回るものである。また、〈証拠〉においては、同じくV25/身長につき〇・二〇ないし〇・二九と記載されているが、これらもその当時の原告後藤の年齢である五七歳ないし六〇歳(男子)のV25/身長の限界値を明らかに下回るものである。そして、右のいずれにもおいて、呼吸困難の程度は第[3]度であるとされているのであるから、前示基準に従って一般的に「著しい肺機能障害がある」と判定してよいものである。もとより、前示のとおり、「著しい肺機能障害がある」か否かの判定は、肺機能検査によって得られた数値を基準値に機械的にあてはめてすべきものではなく、エックス線写真の像、既往歴及び過去の健康診断の結果、自覚症状及び臨床所見の事情を総合的に勘案して判定すべきものであるが、前示診断書等を作成したいずれの医師も、右のような諸事情を総合的に勘案して「著しい肺機能障害がある」と判定しているのであるから、これらの事情に照らせば、原告後藤のじん肺症状は右管理四の診断・決定がなされた時点において管理四に相当するものであったということができる。

したがって、原告後藤についてなされた管理四の決定が誤りであるとする被告らの主張は採用することができない。

五  被告らの義務違反

1  使用者の義務

当該作業に従事する労働者がじん肺に罹患するおそれがあると認められる作業(以下「粉じん作業」という。)を行う事業者と労働者との間において、労働者を常時粉じん作業に従事させることを目的とする雇用契約(以下「粉じん作業雇用契約」という。)が締結された場合、当事者が主たる給付義務として労務提供と報酬支払の各義務をそれぞれ負うに至るのみではなく、少なくとも旧じん肺法が施行された後においては、使用者(以下「粉じん作業使用者」という。)は、粉じん作業に従事する労働者(以下「粉じん作業労働者」という。)に対し、労働者をじん肺に罹患させないようにするため、当該粉じん作業雇用契約の継続する全期間にわたって、絶えず実践可能な最高の水準に基づく、(一)当該粉じん作業労働者が作業に従事する作業環境の管理、すなわち、(1)作業環境における有害かつ吸入性のある粉じんの有無ないしその量を測定し、(2)この測定結果に基づき安全性の観点から当該作業環境の状態を評価し、(3)この評価の結果安全性に問題があるときには、当該危険を除去するため若しくは安全性を向上させるために、〈1〉粉じんの発生、飛散を抑制するため湿式削岩機の使用、発じん源に対する散水等の措置を講じ、〈2〉発生した粉じんの希釈、除去のため換気又は通風の措置等必要かつ適切な措置を講じること(これらをまとめて以下「作業環境管理」という。)、(二)当該粉じん作業労働者の作業条件の管理、すなわち、(1)有害粉じんの吸入による人体に対する影響をなくすため作業時間(粉じんに暴露される時間)、休憩時間、休憩場所の位置・状況等(以下「作業条件」という)について必要かつ適切な措置を講じ、(2)粉じんの吸入を阻止するために有効でありかつ当該粉じん作業労働者が装着するに適した呼吸用具を支給し、これを装着させること等の措置をとること(これらをまとめて以下「作業条件管理」という。)、(三)当該粉じん作業労働者の健康等の管理、すなわち、(1)粉じん作業労働者に対し、〈1〉粉じん及びじん肺の危険性並びにその予防について一般的な教育を行い、〈2〉当該粉じん作業労働者の作業現場における粉じん測定の結果及びこれに基づく危険の程度を知らせ、マスクの使用方法・保守管理等について教示し、(2)じん肺の専門医による粉じん作業労働者の健康診断を適時に行い、じん肺の早期発見及び配置転換によるじん肺の重症化への進行を阻止する措置を講じること(これらをまとめて以下「健康等管理」という。)等を履行する義務を負担したものと解すべきである。その理由は、次のとおりである。

前示認定の事実(三項の1、2)によれば、どのような種類・大きさの粉じんの吸入が人体のどの部分にどのような変化をもたらすかという、じん肺の病理機序については、歴史的には今世紀初頭に至るまで必ずしも明らかではなかったが、粉じんが人体に有害な危険物質であり、これを粉じん作業に従事する労働者が長期間呼吸とともに吸入するときには、じん肺に罹患するおそれのあることは歴史的にかなり古くから認知されていたところであり、これを回避するためには、労働者が粉じんを吸入しない措置をとることが必要であることも同じく古くから認知されていたところである。ところが、我が国においては、じん肺罹患者に対する補償による救済が先行し、じん肺の予防の観点からの規制及び対策が遅れていたが、旧じん肺法は、(一)右のように、粉じんが人体に有害な危険物質であってその吸入がじん肺発症の原因であること、じん肺罹患により侵害されるのが労働者の生命又は身体という極めて重要な法益であるうえ、じん肺が不可逆的な病であって、これにいったん罹患するときには過去の医学によってはもとより現代の医学をもってしても、その進行の阻止又は肺の機能を回復させることが不可能であること、(二)他方、粉じん作業労働者がじん肺又は重症なじん肺に罹患しないようにするための方法ないしは措置としては、前記のような作業環境管理、作業条件管理及び健康等管理に関する諸措置が考えられ、また、これらに関する医学的・科学的・技術的水準も絶えず向上し、かかる向上した水準に基づく右の諸措置による作業環境管理、作業条件管理及び健康等管理がすべて適切に行われるときには、粉じん作業労働者がじん肺に罹患するのを相当程度防止することができる状況になったこと等を背景として、粉じん作業労働者の健康の保持を主要な目的として制定されるに至ったものである。したがって、右のような立法事実に基づく旧じん肺法が制定された後においては、粉じん作業使用者は、粉じん作業労働者に対し、その違反が損害賠償義務を生じうるにすぎないいわゆる安全配慮義務を負うにとどまるものではなく、粉じん作業労働者がじん肺に罹患するのを防止するために雇用契約の継続する限り、絶えず実践可能な最高の医学的・科学的・技術的水準に基づく作業環境管理、作業条件管理及び健康等管理に関する諸措置を講ずる履行義務(以下「粉じん作業雇用契約に基づく付随的履行義務」という。)を負担し、粉じん作業労働者はその使用者に対し、右義務に対応する履行請求権を有するものと粉じん作業雇用契約を構成するのが、旧じん肺法の前記目的に沿った規範的解釈であるというべきだからである。そして、当該時点における実践可能な最高の医学的・科学的・技術的水準に基づく前記の諸措置の具体的内容(例えば、湿式削岩機の機種、呼吸用具の機能・種類、じん肺健康診断の時期・内容等)は、通風体系(当該鉱山の通風体系は、その位置、気候等の自然条件のもとにおいて、どのような体系が科学的に粉じんの除去に最適なものであるかは明らかではなく、通風体系の合理性を判断する基準は見い出すことができない。)を除いては、いずれも特定することが可能なものといえるから、右義務の内容は履行可能なものというべきである。

したがって、粉じん作業労働者がじん肺に罹患するに至った場合において、粉じん作業使用者が粉じん作業雇用契約に基づく付随的履行義務の全部又は一部の履行を怠った事実のあるときには、粉じん作業使用者に債務不履行があるものというべきであり、粉じん作業使用者がこの不履行につき民法四一五条所定の「責ニ帰スヘキ事由」のないことを主張・立証しない限り、粉じん作業労働者がじん肺に罹患したことにより被った損害を賠償すべき責任を免れえないものというべきである。そして、粉じん作業使用者において、右の「責ニ帰スヘキ事由」がないというためには、当該粉じん作業につき現にとった作業環境管理、作業条件管理及び健康等管理に関する諸措置によるじん肺回避の効果が、実践可能な最高の医学的・科学的・技術的水準に基づく前記諸措置によるじん肺回避の効果を下回らないと信じ、かつ、そのように信ずるについて合理的根拠のあったこと又は後者の諸措置をとることが後記6に説示の意味での経済的に実施不可能であることを具体的に主張・立証することが必要であるというべきである。

2  粉じん作業雇用契約の内容は右のように解すべきであるところ、この理は、労働者と直接粉じん作業雇用契約を締結した者との間に限られず、労働者を自己の支配下に従属させて常時粉じん作業に関する労務の提供を受ける粉じん作業事業者等、右労働者との間に実質的な使用従属関係がある者(以下「実質的粉じん作業使用者」という。)との間においても妥当するものというべきであるから、実質的粉じん作業使用者も、信義誠実の原則に従い、粉じん作業労働者に対し、粉じん作業雇用契約に基づく付随的履行義務と同一の性質及び内容の義務(以下この義務も「粉じん作業雇用契約に基づく付随的履行義務」という。)を負うものというべきであり、粉じん作業労働者は実質的粉じん作業使用者に対し、右義務に対応する履行請求権を有するものというべきである。

被告日鉄が、原告らとの間において実質的粉じん作業使用者に当たるか否かについて検討するに、前示認定の事実によれば、松尾採石所が粉じんの発生する職場であったことは明らかであるところ、原告らが、雇用契約を締結した直接の当事者は陸丸工業、訴外菅原工業及び被告菅原であって、被告日鉄との間に雇用契約の締結はなかったが、同被告は、松尾採石所の採石権及び基本的設備を保有し、基本的な採掘計画及び採掘方法を決定して、同採石所の開発・経営にあたってきたものであり、しかも、当初から陸丸工業、訴外菅原工業及び被告菅原その他の請負組の従業員を坑道掘進、積込み・運搬、長孔穿孔・発破等の各種現場作業にあたらせる目的で同被告その他の請負組と請負契約を締結し、これら請負組の従業員を自己の支配下においてその労務の提供を受けていたものであることが明らかである。被告菅原は、前示のとおり、松尾採石所において、原告らと同じように陸丸工業の一従業員として現場作業に従事していた菅原実が、陸丸工業の撤退に伴って設立した合名会社であって、被告日鉄との間で本件基本契約を締結し、これに基づく各種現場作業に従事していたものとはいえ、右契約においても、ほぼ全面的に同被告の指示に従うものとされ、工事施工に必要とされる機械、器具類についても、被告菅原が独自に用意していたのはロッド、ビット、保安帽、保安靴及び防じんマスク等の道具類にすぎず、主要な機器はそのほとんどを被告日鉄から支給を受けていたものである。そして、弁論の全趣旨による、このような関係は同被告と陸丸工業及び訴外菅原工業との間においても存していたものと推認されるところである。したがって、これらの事実関係に照らせば、同被告と原告らとの間には実質的な使用従属関係があったといえるから、同被告は実質的粉じん作業使用者に当たるものと認めるのが相当である。したがって、被告日鉄は、原告らに対し、信義誠実の原則に従い、原告らがじん肺に罹患することのないようにするため、粉じん作業雇用契約に基づく付随的履行義務を負っていたものと解すべきである。

3  そこで、被告らの粉じん作業雇用契約に基づく付随的履行義務違反の債務不履行があったかどうかを検討する。

(一)  〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができる。証人麻生泰幸及び同長本幹郎の各証言並びに被告菅原代表者本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、その余の前掲各証拠と対比して採用することができず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 粉じん濃度

ア 被告日鉄は、松尾採石所において、開坑以来適宜坑内の粉じんを測定し、作業環境の実態を把握してきた旨主張し、証人麻生泰幸及び同木原英昭の各証言には右主張にそう部分があるが、右主張及び右各証言はいずれも抽象的であり、原告ら各自の作業現場の作業環境の具体的実態及びこれに基づく作業環境の改善についての具体的実情が明らかではないから、主張自体考慮に値しないものであるうえ、同採石所の開坑以来次のイにおいて認定する昭和五五年一一月までの間(原告らが同採石所において稼動したのはほぼこの期間である。)については、粉じん濃度の測定結果についての記録が全く証拠として提出されていないことに照らすと、右各証言も措信することはできず、他に右の期間被告日鉄が同採石所における粉じん作業に従事する原告ら労働者がじん肺に罹患することのないようにするため粉じん濃度の測定をした等の事実を認めるに足りる証拠はない。

イ 被告日鉄は、昭和五五年一一月一〇日及び同月一四日(以下「昭和五五年測定」という。)並びに昭和五六年二月二八日、同年三月二日及び同月三日(以下「昭和五六年測定」という。)にそれぞれ松尾採石所坑内における粉じん濃度の測定を行っているが、その測定方法、測定条件、測定結果等は次のとおりである。すなわち、まず、昭和五五年測定は、前記年月日の平常作業時間中に、「屋内建屋内の作業環境測定基準」(昭和五一年四月二二日労働省告示第四六号)に準拠し、坑内積込場及び坑内長孔穿孔室の二箇所を測定地点として設定したうえで、ローボリウムエアーサンプラー及びデジタル粉じん計等を使用し、濾過捕集法及び重量分析法とともに相対濃度指示方法を併用して測定したものであるが、右測定の結果によると、坑内積込場における幾何平均濃度は一立法メートルあたり一・八〇ミリグラム、坑内長孔穿孔室における幾何平均濃度は同じく一・八七ミリグラムであった。なお、坑内に堆積していた粉じんは吸湿しており、これを試料とすることが適当でなかったため、屋内のプラントにおいて採取した粉じん試料をもとに、その遊離けい酸含有量を分析した結果、その平均値は三〇・七パーセントであった。また、昭和五六年測定は、前記年月日の平常作業時間中に、屋内の作業場で用いられているB測定に準拠し、主要坑道、坑内積込場及び坑内長孔穿孔箇所の三箇所を測定地点として設定したうえで、デジタル粉じん計等を使用し、質量濃度変換係数としては昭和五五年測定のそれを採用して測定したものであるが、右測定の結果によると、主要坑道における質量濃度は一立法メートルあたり一・三ミリグラム、坑内積込場における質量濃度は同じく二・一ミリグラム、坑内長孔穿孔箇所における質量濃度は同じく一・八ミリグラムであった。

ウ ところで、日本産業衛生学会は、職場における経験又は実験的研究に基礎を置き、また諸外国の動向をも参考にして、職場環境内のガス、蒸気、粉じん、煙、フューム、ミスト等の有害物の許容濃度に関する勧告を発表してきているが、昭和四〇年五月一一日に発表した「許容濃度の勧告」によれば、右許容濃度は、「労働者が有害物に連日暴露される場合に、空気中の有害濃度がこの数値以下であれば、健康に有害な影響がほとんど見られぬという濃度」として定義され(なお、各有害物別に示す数値は、感受性が特別に高くない労働者が一日八時間以内、中等労働に従事する場合を前提とするものとされている。)、第一種粉じん(遊離けい酸含有率が三〇パーセント以上の粉じん、滑石、蝋石等)については一立法メートルあたり二ミリグラムが許容濃度とされている。

粉じん濃度の測定法には、総粉じん(空気中に浮遊するすべての粉じん)を対象とするものと吸入性粉じん(粉じん粒子を水と同じ比重一で同じ沈降速度となる球形に換算した相対沈降径では七・〇ミクロン以下、粉じん粒子を同じ比重で同じ沈降速度となる球形に換算したストークス径では約五ミクロン以下の粉じん)を対象とするものとがあり、また、労働者の呼吸位置における粉じん濃度(これを「暴露濃度」という。)を測定するものと作業空間全体の粉じん濃度(これを「環境濃度」という。)を測定するものとがあるが、右昭和四〇年の勧告における粉じんの許容濃度に関する右数値は、総粉じんを対象とした環境濃度に関する数値である(この点は、昭和五五年五月一六日になされた日本産業衛生学会の「許容濃度等の勧告」における説明(乙第四八号証の二、四三七頁)に照らすと明らかである。)。また、同じく昭和五七年四月六日に発表された「許容濃度等の勧告」においては、右許容濃度は、「労働者が有害物に連日暴露される場合に、当該有害物の空気中濃度がこの数値以下であれば、ほとんどすべての労働者に悪影響が見られない数値」として定義され、右有害物が粉じんである場合には、「四〇年間粉じん作業を伴う作業場で働いた労働者のうち五パーセントにエックス線所見二型のじん肺が認められるかもしれない吸入性粉じんに対する暴露濃度」を許容濃度とするものとされている。そして、遊離けい酸含有率が一〇パーセント以上の粉じんについては、吸入性粉じんと総粉じんとを区別し、それぞれにつき次の計算式により算出される数値が許容濃度とされている。すなわち、粉じん中の遊離けい酸含有率(単位はパーセント)をQとし、許容濃度をM(単位は一立法メートルあたりのミリグラム)とすると、吸入性粉じんについては、M=二・九÷(〇・二二Q+一)であり、総粉じんについては、M=一二÷(〇・二三Q+一)である。したがって、粉じん中の遊離けい酸含有率が三〇・七パーセントである松尾採石所においては、右計算式によりその許容濃度を算出すると、吸入性粉じんについては〇・三七ミリグラム、総粉じんについては一・四九ミリグラムが許容濃度となる。

エ 被告日鉄が行った前記昭和五五年測定及び昭和五六年測定は、いずれも吸入性粉じんを対象としてその環境濃度を測定したものであったが、一般に、環境濃度の数値は暴露濃度の数値より低い数値を示すものとされているから、右数値を対比すれば、昭和五五年測定及び昭和五六年測定の測定値が、日本産業衛生学会の昭和五七年の許容濃度を超えるものであったことは明らかであり、さらに吸入性粉じんを対象とする濃度が総粉じんを対象とする濃度よりも低い数値を示すことを考慮に入れれば、松尾採石所坑内における粉じん濃度は、坑内積込場など高い濃度を示すところでは、日本産業衛生学会の昭和四〇年の許容濃度をも超えるものであったことが推認される。

オ 〈証拠〉によると、松尾採石所においては、右各測定結果を考慮して、作業環境管理、作業条件管理及び健康等管理のいずれの点においても具体的な改善措置がとられなかったことが認められる。

カ したがって、被告らには前記粉じん作業雇用契約に基づく付随的履行義務違反があったものというべきである。

(2) 暴露時間

ア 被告菅原と原告らとの間の粉じん作業雇用契約においては、原告らの労働時間は午前七時から午後三時までの八時間(午後〇時から午後一時まで一時間の休憩時間を含む。)とされ、日曜日は休日とされていたが、実際には、休憩時間中も坑内におり、昭和五四年一一月に一日八時間に改められるまでは一日一〇時間の時間内労働を前提に、このほかに毎日数時間の残業を行うことが常態とされ、休日労働も頻繁に行われていた。すなわち、被告菅原作成にかかる原告らの給与票によれば、一工数の単価は昭和五四年一〇月まで一貫して一時間の単価の一〇倍として表示されているから、原告らに関しては、一日一〇時間の時間内労働が前提とされ、これを超える労働についてのみ残業として時間外給与が支払われていたものと推認することができる。もっとも、右一〇時間の労働時間が休憩時間をも含むものとして取り扱われていたか否かは必ずしも明確でないが、これを含むものと仮定しても、右給与票によると、原告らは、少なくとも昭和五四年一〇月までは毎日、時間内労働として始業時である午前七時から午後五時までの一〇時間にわたって坑内にいたことになり、更にこのほかに残業として、少なくとも月平均五時間以上(多い月では五〇時間を超える。)の坑内作業に従事していたこととなる。

イ ところで、使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない(労働基準法三二条二項)ところ、坑内労働については、労働者が坑口に入った時刻から坑口を出た時刻までを、休憩時間を含め労働時間とみなすものとされ(同法三八条二項)、かつ、労働組合等との間で労働時間延長又は休日労働に関する協定が締結されていたとしても、一日について二時間を超えて労働時間を延長することは許されないものとされている(同法三六条ただし書き)。また、前示の日本産業衛生学会の許容濃度に関する勧告も、感受性の特に高くない労働者が一日八時間以内、中等労働に従事する場合を前提とするものである。

ウ したがって、松尾採石所における原告らの労働量は、日本産業衛生学会の許容濃度に関する勧告の前提とする労働量のみならず、労働基準法による保護の範囲をもはるかに上回るものであったということができ、被告らには前記作業条件管理に関する粉じん作業雇用契約に基づく付随的履行義務違反があったものというべきである。

(3) 防じんマスク

ア 防じんマスクの規格について定めた昭和三七年五月三〇日労働省告示第二六号は、直結式防じんマスク(濾過材及び面体からなり、かつ、濾過材によって粉じんを濾過した清浄空気を吸入し、呼気は排気弁から外気中に排出するもの)につき、その重量及び性能により、特級、一級及び二級の区分をしている。右区分の基準のうち、重量は、文字どおり当該マスクの重量をいうものであり、特級にあっては二〇〇グラム以下、一級にあっては一六〇グラム以下、二級にあっては一一〇グラム以下であることを要するとされ、性能については、吸気抵抗(毎分三〇リットルの石英粉じん含有空気をマスクを通して吸引したときのマスク内外の圧力差を水柱ミリメートルで表したもの)、粉じん捕集効率(毎分三〇リットルの石英粉じん含有空気をマスクを通して吸引したときのマスク通過前後の粉じん量の差をパーセントで表したもの)、排気抵抗(毎分三〇リットルの空気をマスクを通して吸引したときのマスク内外の圧力差を水柱ミリメートルで表したもの)、吸気抵抗上昇率(毎分三〇リットルの空気をマスクを通して吸引したときのマスク内外の圧力差と、毎分三〇リットルの石英粉じん含有空気をマスクを通して六〇分間吸引したときのマスクの内外の圧力差との差をパーセントで表したもの)及び排気弁の作動気密性の各点から規定され、排気抵抗、吸気抵抗上昇率及び排気弁の作動気密性の各点については、いずれの等級にあっても共通の条件を充たす必要があるが、吸気抵抗及び粉じん捕集効率については、等級ごとに条件が異なっており、特級にあっては、吸気抵抗が一〇水柱ミリメートル以下で、粉じん捕集効率が九九パーセント以上であること、一級にあっては吸気抵抗が六水柱ミリメートル以下で、粉じん捕集効率が九五パーセント以上であること、二級にあっては吸気抵抗が六水柱ミリメートル以下で、粉じん捕集効率が八〇パーセント以上であることの各条件を充たす必要があるとされていた。この規格は、昭和四七年に一部改正されたが、昭和五八年に全面改正されるまで維持されていた。

また、防じんマスクの選択にあたっては着用者個々人の顔面への密着性を確実にする必要があり、そのためには着用者個人がその密着性を確認することが不可欠であるうえ、防じんマスク(殊に濾過材部分)は長時間の使用に伴いその性能が劣化するのは必然のことであるから、使用時間に応じて手入れ・交換が必要となることはいうまでもない。

そして、右規格が実施された後の昭和三七年七月以降直結式防じんマスクに限っても多数の一級の検定に合格したものが存していた(例えば、サカヰ式一〇〇三A号型、同B号型)。

イ ところで、原告らが松尾採石所において支給を受けていた防じんマスクは、昭和五〇年代に入るまでは一貫してサカヰ式の一一七号型マスクであり、その後、原告後藤が昭和五〇年末ころに、原告岩元が昭和五二年四月ころに、原告菊池が昭和五五年一〇月ころに、それぞれサカヰ式一〇〇三C号型マスクの支給を受けたものである。同マスクは昭和四八年八月右規格の特級に合格の検定を受けたものであるが、右サカヰ式一一七号型マスクは昭和三七年九月に右規格の二級に合格の検定を受けたものにすぎず、また、特に坑内作業向けに開発されたものではなく、一般作業向けに開発されたものであって、それ自体原告らの作業環境において粉じんの体内への吸入を抑止することのできるものではなかった。そのうえ、原告らが松尾採石所における十数年に及ぶ作業期間中にマスクの支給を受けるにあたって、原告ら個々人の顔面への密着性が最も確実なものかどうかを検討して選択されたものではなく、また、支給を受けたマスクの個数はわずか数個にすぎず、濾過材部分も長時間交換されることはなく、サカヰ式一一七号型マスクにあっては、原告らは毎日濾過材の洗浄を繰り返して同じ濾過材を長時間使用していたものであって、使用時間に応じた手入れ・交換も行われていなかった。

ウ 右に認定したところによれば、被告らに作業条件管理のうち防じんマスクの点についても粉じん作業雇用契約に基づく付随的履行義務違反があったことが明らかである。

(二)  以上のとおり、原告らは、いずれも松尾採石所において、日本産業衛生学会の勧告する許容濃度をはるかに超える粉じん濃度のもと、右勧告の前提とする労働量のみならず、労働基準法による保護の範囲をもはるかに上回る労働量の粉じん作業に従事し、しかも、この間、右粉じんの体内への吸入を抑止することのできる防じんマスクの支給を受けることもなく、右粉じんにさらされていたことが明らかである。もとより、日本産業衛生学会の許容濃度に関する勧告も前示のようなじん肺罹患の危険を含むものであり、また、坑内労働の時間制限に関する労働基準法及び防じんマスクの規格に関する労働省告示の各規定も、労働者保護という行政上の見地からその最低基準を定めたものにすぎないというべきであるから、粉じん濃度、暴露時間及び防じんマスクの支給のそれぞれについて、右勧告及び規定等が守られていたとしても、じん肺罹患の危険がなかったことにならないのはいうまでもないが、前示認定の事実関係に照らせば、松尾採石所においては、これらの規定等さえも守られていなかったことが明らかであるから、その余の点について判断するまでもなく、被告らには前記粉じん作業雇用契約に基づく付随的履行義務違反の債務不履行があったものというべきである。

4  被告らの「責ニ帰スヘキ事由」の有無

被告らは、坑内作業においては、削岩、発破、積込み等の作業により、粉じんが不可避的に発生するものであって、これを完全に抑制することは物理的にも技術的にも困難であり、また、作業者の粉じん吸入を防止するために考えられる措置もいまだ技術的な限界があるばかりでなく、坑内環境の特殊性から生じる種々の条件によって制約されるのが実情であるとして、粉じん発生の抑制及び粉じん吸入の防止が技術的に困難であることを強調し、主として当該時期ごとに国の諸法令において定められた基準に従った作業環境・作業条件を創出していればその義務の履行に欠けるところはないとの前提で、その主張を展開する。

しかしながら、被告らは、原告らに対し前示のような粉じん作業雇用契約に基づく付随的履行義務を負っていたものであるから、これと異なった義務を前提とする被告らの右主張は理由がない。そして、被告らは右履行義務の懈怠につき「責ニ帰スヘキ事由」のないことを具体的に主張・立証しない。

5  被告日鉄の主張三(被告菅原の主張二、原告らの損害と労災保険法との関係)について

被告らは、被告らの負うべき義務の内容について、「労働者の自己安全義務との衡量のうえに決定された相応の義務」と解すべきであるとし、これを前提として、原告らがじん肺に罹患したことによって被った損害は労災保険法に基づく保険給付によりすべて填補されるべき性質のものであって、被告らが右損害につき賠償責任を負うものではない旨主張するが、被告らが原告らに対して負っていた義務の性質・内容は前示のとおりであって原告らの自己安全義務と衡量して定めるべきものではなく、また、被告らの右義務の不履行に基づく損害賠償責任と、労災保険法に基づく政府の保険給付の対象である被告らの原告らに対する労働基準法上の災害補償責任とは性質・内容を異にするものであって、両者の責任は競合するものであることが明らかであるから、被告らの右主張は到底採用することができない。

6  被告日鉄の主張四(「許された危険の法理」と被告らの義務との関係)について

被告日鉄は、「許された危険の法理」の内容につき、「危険部分はあるがその危険は適法として許され、万一その結果災害が発生したとしてもそれに基づくものであれば責任を問われることはないもの」と解することを前提に、右法理に照らし、被告日鉄の負うべき義務の内容は相応の範囲に限定されるべきであると主張する。

しかしながら、許された危険の法理は、社会的に有用な事業であるため、それに随伴する技術的危険が完全に支配ないし管理できない場合であっても、当該危険事業等の開始を許容する理論であるが、当該危険が現実化して生じた損害については、危険源を支配・利用する右危険事業等の経営者等が負担すべきであるとのいわゆる危険責任と結びついた法理であり、右損害の発生につき責任のない被害者に右損害の全部又は一部を負担させることの根拠となる理論ではない。被告日鉄の右主張は、許された危険の法理について独自の解釈を前提とするものであって、採用することができない。

また、被告日鉄は、松尾採石所において粉じん作業に従事する原告ら労働者がじん肺に罹患する可能性のあることは認識できたが、これを回避する措置については当該時点における法令等の定めるところを遵守すれば、じん肺に罹患した労働者に生じた損害を賠償すべき責任を負うものではないとも主張する。

しかしながら、被告日鉄の右免責の主張を認めるべき法的根拠のないことは前示3において説示したところから明らかであるというべきである。そして、粉じん作業使用者が、当該作業場において粉じん作業労働者がじん肺に罹患する可能性のあることを認識し又は認識することができる場合には、当該時点における実践可能な最高の医学的・科学的・技術的水準に基づく作業環境管理、作業条件管理及び健康等管理に関する諸措置を講ずべき履行義務があることは前示のとおりであり、また、仮に、右諸措置についての技術が未熟又は未完成であるため、当該作業場における労働者がじん肺に罹患する危険にさらされている状態の続くことを認め又は認めうるときには、当該粉じん作業使用者は、このような状態を解消すべく最善の努力をすべきであり、右技術について、経済的に実施不可能となる(ここにいう経済的に実施不可能とは、右諸措置についての技術が科学的には開発及び実施が可能であったとしても、それを開発して実際に取り入れるときには、特定の個々の企業にとどまらず当該企業の属する産業全体が、その産物の消費者に対して、開発費用及び開発された回避手段・方法の設置費用等を転嫁することが不可能であって、当該産業そのものが成り立ちえなくなることを意味するものである。)といえない限り、不断に、みずから開発し又は他をして開発させて右技術の水準の進歩、向上を図り、かかる技術水準に基づく前記諸措置を用いて、労働者を前示のようにすでに知られた危険であるといえるじん肺から保護すべき義務を負うに至るものというべきであり、単に当該時点においてすでに開発されて利用可能となっている回避手段・方法を利用しただけでは責任を免れることはできないものというべきである。

被告日鉄は、松尾採石所において粉じん作業に従事する原告ら労働者がじん肺に罹患する可能性のあることを認識しながら、粉じん作業雇用契約に基づく付随的履行義務すら懈怠したことは前示のとおりであり、また、弁論の全趣旨によると、同被告がじん肺の回避手段・方法の開発についてしたのは昭和三〇年代に日本鉱業協会の一員として防じんマスクの濾過材である静電濾層の開発に参画したことがあったにとどまると認められるから、被告日鉄の右主張は採用することができない。

六  原告らのじん肺罹患と被告らの粉じん作業雇用契約に基づく付随的履行義務違反との間の因果関係

1  複数の粉じん職歴を有する者のじん肺罹患と粉じん作業使用者の右義務違反との間の因果関係について

被告らは、原告らのじん肺罹患は松尾採石所以外の粉じん職場での粉じん吸入も影響しており、松尾採石所における粉じん吸入がその原因のすべてではないから、原告らの粉じん職歴中において松尾採石所での就労期間が占める割合に応じて被告らの責任は限定されるべきであると主張するので、以下この点について検討する。

ところで、民法七一九条一項後段は、「共同行為者中ノ孰レカ其損害ヲ加ヘタルカヲ知ルコト能ハサルトキ」にも、共同行為者は各自連帯してその賠償の責に任ずる旨規定しているが、この規定は、甲、乙等特定の複数の行為者(以下、甲、乙の二者で表示する。)につきそれぞれ因果関係以外の点では独立の不法行為の要件が具備されている場合において、被害者に生じた損害が甲、乙のいずれかの行為によって発生したことは明らかであるが、甲、乙の各行為が原因として競合していると考えられるため、現実に発生した損害の一部又は全部がそのいずれによってもたらされたかを特定することができないとき(以下、右のような特定複数の行為者又は行為の関係を「択一的損害惹起の関係」という。)には、甲、乙の各行為がそれだけで損害をもたらしうるような危険性を有し、現実に発生した損害の原因となった可能性があることを要件として、発生した損害と甲、乙の各行為との因果関係の存在を推定し、甲又は乙の側で自己の行為と発生した損害との間の一部又は全部に因果関係のないことを主張・立証しない限り、その責任の一部又は全部を免れることができないことを規定したものと解するのが相当である。けだし、甲の行為と乙の行為との間に択一的損害惹起の関係があるときには、被害者としては、甲又は乙の違法行為がない限り、乙又は甲の違法行為と損害との間に因果関係が存在することを立証することができるにもかかわらず、甲又は乙の違法行為が存在するとされた途端に、乙又は甲の違法行為と損害との間に因果関係の存在することを立証することが困難となり、明らかに被害者の保護にもとることとなるので、被害者を救済するため、甲、乙の各行為に前示の要件が充足されている限り、甲、乙の各行為と損害との間に因果関係が存在することを法律上推定するものとしたのが同規定の趣旨というべきだからである。

したがって、甲又は乙としては、自己の行為が右のような危険性を有し、損害の原因となった可能性がある限り、乙又は甲の違法行為の存在を主張・立証しただけではその責任を免れることはできず、責任を免れるためには更に自己の行為と損害との間の一部又は全部に因果関係がないことを主張・立証することを要するものというべきである。

そして、いずれも債権者の生命又は身体を保護することを目的とする債務を負う複数の債務者の各債務不履行が、因果関係以外の点で債務不履行に基づく損害賠償責任の要件を充足する場合において、択一的損害惹起の関係があるときには、債権者を救済する必要のあることは前示の不法行為の場合と異ならないから、債務不履行に基づく損害賠償責任についても民法七一九条一項後段の規定を類推適用するのが相当である。したがって、時を異にし、複数の粉じん作業使用者(粉じん作業労働者と直接雇用契約を締結した使用者のほか、右労働者に対し実質的粉じん作業使用者に当たると認められる者も含むものである。)のもとにおいて、粉じん吸入のおそれのある複数の職場で労働に従事した結果じん肺に罹患した労働者が、右複数の使用者の一部又は全部に対して、その粉じん作業雇用契約に基づく付随的履行義務違反を理由に損害賠償を求める場合には、吸入した粉じんの種類と現に罹患したじん肺の種類との間に適合性(遊離けい酸とけい肺、石綿と石綿肺、滑石と滑石肺等)があるなど、右複数の職場のうちのいずれの職場における粉じん吸入によっても現に罹患したじん肺になりうることが認められる限り、同項後段を類推適用し、労働者のじん肺罹患と右複数の使用者の右各義務違反の債務不履行との間の因果関係が推定されるものというべきであり、じん肺に罹患した労働者としては、そのじん肺罹患と一部の使用者の右債務不履行のみとの間の因果関係を立証することができなくても、複数の使用者の各債務不履行が現に罹患したじん肺をもたらしうるような危険性を有し、右じん肺の原因となった可能性があることを主張・立証することができれば、各使用者らの債務不履行との間の因果関係が推定されるものというべく使用者において、みずからの債務不履行と労働者のじん肺罹患との間の一部又は全部に因果関係がないことを主張・立証することができない限り、使用者はその責任の一部又は全部を免れることができないものというべきである。

そこで、以下項を改めて、以上の見地から本件における因果関係の有無を検討することとする。

2  原告らのじん肺罹患と被告らの粉じん作業雇用契約に基づく付随的履行義務違反との間の因果関係

被告らは、原告らが松尾採石所以外の粉じん職場において作業に従事した経歴があるとして、被告らの損害賠償の範囲が相応の限度に限られるべきであると主張する。

しかしながら、前示認定のとおり、原告らのじん肺は、いずれも遊離けい酸を含有した粉じんを吸入することによって罹患するけい肺であって、三〇パーセントを超える遊離けい酸の含有率を有する松尾採石所の粉じんを吸入することによってこれに罹患する危険性を有し、その吸入量いかんによっては原告らの現在の症状に至りうる可能性があるのであるから、被告らの主張するように、原告らに他の粉じん職歴があり、松尾採石所以外の職場で粉じんを吸入する危険性があったとしても、原告らの現在の症状と被告らの前記各義務違反の債務不履行との間の因果関係は民法七一九条一項後段の類推適用により法律上推定されるものといわなければならず、被告らにおいて、更に自己の右各債務不履行と原告らの現在の症状との間の一部又は全部との間に因果関係が存在しないことを主張・立証しない限り、その責任の一部または全部を免れることはできないものというべきである。

被告らは、原告らの現在の症状と被告らの右各債務不履行との間の一部に因果関係がない旨主張し、証拠として、労働省労働基準局編纂にかかる「労働衛生のしおり」に発表された「業種別じん肺健康管理区分の決定状況」を提出しているが、これをもってしては、原告らの現在の症状と被告らの右各債務不履行との間の一部に因果関係がないことを認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

したがって、被告らの前記主張は採用することができない。

七  被告菅原の主張四(示談契約の締結による損害賠償請求権の消滅)について

1  〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができ、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告菊池は、昭和五六年七月ころ、松尾採石所の坑内において作業中事故に遭い、約二週間の入院加療を要する腸破裂の傷害を受けたが、同月末には退院し自宅において療養していたところ、同年九月初めに被告菅原代表者菅原実の訪問を受け、「会社を解散しようと思うので辞めてくれないか。辞めてくれれば解雇手当、退職金のほかに一〇〇万円を支払う。」との申入れを受けた。同原告は、すでに同年八月六日じん肺管理区分の管理三イの決定を受けており、右申入れを受けた当時にはその事実を知っていたが、じん肺が進行性の病気であることは知らず、同じく管理三の決定を受けた原告後藤も日本ロックに移って働いているし、自分も半年も療養すれば再び働けるようになるものと理解していたので、菅原実の右申入れに対しては、「再び働けるようになるまでの生活費として一四〇万円はもらわなければ辞めることができない。」と答えた。しかしながら、これに対して菅原実が「会社には一二〇万円しかない。そのうちに失業保険も出るから一二〇万円で生活してくれ。」と強くいうので、原告菊池も一二〇万円まで譲歩することとし、同年九月一五日次の示談書〈証拠〉を作成した。

(二)  右示談書の内容は次のとおりである。すなわち、まず冒頭には、合名会社菅原工業の従業員菊池己成は五六年八月六日付をもって東京労働基準局長より「じん肺管理区分三イ」の決定を受けるに至った。本件に関し菊池己成本人及び家族の将来等を配慮し、当事者間において協議した結果次の事項を確認し示談が成立した旨記載され、以下に、〈1〉菊池己成は昭和五六年九月三〇日をもって合名会社菅原工業を円満退社する、〈2〉合名会社菅原工業は菊池己成に対し昭和五六年九月一六日までにじん肺罹患に伴う一切の解決金として金一二〇万円を支払う、〈3〉菊池己成は右金員の受領によって合名会社菅原工業及び日鉄鉱業株式会社に対し将来の症状の変化のいかんにかかわらず今後一切金銭上その他の苦情の申出をしない旨の条項が記載されている。そして被告菅原は、同月一六日原告菊池に対し、右示談に基づき一二〇万円を支払った。

2  右認定の事実によれば、本件示談契約を締結するにあたっては、原告菊池及び被告菅原の双方が、同原告のじん肺罹患を前提にその損害を填補するために本件示談契約を締結したものであることが明らかであるから、右一二〇万円の支払は同原告のじん肺罹患に伴う損害の填補に充てられるべきものであるが、右契約締結当時における同原告のじん肺症状はじん肺管理区分の管理三イであり、当時同原告はじん肺に罹患しても半年ほど療養すれば再び働くことができるようになるものと理解していたことに照らせば、右示談によって同原告が放棄した損害賠償請求権は、同原告が右示談当時予想していた損害についてのもののみと解すべきであって、その後同原告が続発性気管支炎を併発して稼動不能となり、次いでじん肺管理区分の管理四の決定を受けるまでにじん肺が進行したことにより被った損害についてまで賠償請求権を放棄した趣旨と解することはできない。

したがって、右一二〇万円を同原告の損害額から控除すべきであるが、右示談契約の締結によって同原告が被告菅原に対する損害賠償請求権をすべて放棄したとの同被告の主張は到底採用することができない。

八  原告らの損害

原告らは、債務不履行に基づく損害賠償として、逸失利益及び慰藉料並びにこれらに対する遅延損害金の支払を求めているところ、原告らの逸失利益及び慰藉料に関する各損害賠償請求権はいずれも原告らがその各労働能力を完全に喪失した日に期限の定めのないものとして生じたものと解すべきであるから、逸失利益は労働能力を完全に喪失した日における現在価額(以下「現価」という。)をライプニッツ方式により年五分の割合で将来の中間利息を控除して算定すべきものであり、また、右遅延損害金は原告らが被告らに対して右損害賠償請求権につき本件訴状をもって履行の請求をした日の翌日(これが昭和五七年六月九日であることは記録上明らかである。)から生じるものというべきである。

1  原告岩元の損害

(一)  逸失利益

前示のように、原告岩元は昭和五五年六月一七日に西多摩病院においてじん肺管理区分の管理四に該当する旨の診断を受け、同年八月一五日には東京労働基準局長からじん肺管理区分の管理四の決定を受けたのであるが、前示認定にかかるじん肺の一般的特質、原告岩元のじん肺罹患の経緯及び現在の症状等に照らせば、同原告は、遅くとも西多摩病院において管理四の診断を受けた同年六月一七日以降は休業して療養を要する状態にあり、その労働能力を完全に喪失したものと認めるのが相当である。

ところで、同原告は昭和五年一〇月一七日生まれで右管理四の診断を受けた当時四九歳であったから、右じん肺に罹患することがなければ、少なくとも六七歳に達するまでは労働に従事することができ、この間、六〇歳までは休業前の年収相当額を、また、一般的に収入額の減少が予想される六〇歳から六七歳まではその学歴に応じ賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・男子労働者・小学・新中学卒・年齢別(六〇歳ないし六四歳)の年収相当額をそれぞれ得ることができたものと推認するのが相当である。

そこで、同原告の逸失利益の昭和五五年六月一七日における現価を算定すると、次のとおりとなる。

(1) 昭和五五年六月一七日から平成二年一〇月一七日まで

〈証拠〉によれば、原告岩元の昭和五四年一月から同年一二月までの給与の合計額は四三六万五一二六円であると認めることができるから、これを基礎に、右期間(約一〇年四月間であるが、一〇年間で計算し、四月分については次の慰藉料額において斟酌することとする。)の逸失利益の昭和五五年六月一七日における現価を算定すると、次のとおり三三七〇万七五〇二円となる。

4,365,126×7.722=33,707,502

(2) 平成二年一〇月一八日から平成九年一〇月一七日まで

昭和六三年賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・男子労働者・小学・新中学卒・年齢別(六〇歳ないし六四歳)の年収額(この額が二八七万一三〇〇円であることは当裁判所に顕著である。)を基礎に、右期間(七年間)の逸失利益の昭和五五年六月一七日における現価を算定すると、次のとおり一〇一九万八八五七円となる。

2,871,300×(11.274-7.722)=10,198,857

(3) 小計 四三九〇万六三五九円

(二) 慰藉料

前示認定にかかるじん肺の一般的特質、原告岩元のじん肺罹患の経過及び現在の症状、その他本件に顕れた一切の事情を斟酌すれば、同原告がじん肺に罹患したことにより被った精神的苦痛を慰藉するためには、一六〇〇万円の支払をもってするのが相当である。

(三) 小計 五九九〇万六三五九円

2 原告菊池の損害

(一) 逸失利益

前示のように、原告菊池は昭和五六年一〇月三日に西多摩病院においてじん肺管理区分の管理三ロ及び続発性気管支炎の合併症との診断を受け、同年一一月二五日には東京労働基準局長からじん肺管理区分の管理三イ及び続発性気管支炎の合併症との決定を受け、さらに昭和六三年一一月一〇日には同じく管理四の決定を受けたのであるが、前示認定にかかるじん肺の一般的特質、原告菊池のじん肺罹患の経緯及び現在の症状等に照らせば、同原告は、遅くとも西多摩病院において管理三ロ及び続発性気管支炎の合併症との診断を受けた昭和五六年一〇月三日以降は休業して療養を要する状態にあり、その労働能力を完全に喪失したものと認めるのが相当である。

ところで、同原告は昭和四年六月一八日生まれで右管理三ロ及び続発性気管支炎の合併症との診断を受けた当時五二歳であったから、右じん肺に罹患することがなければ、少なくとも六七歳に達するまでは労働に従事することができ、この間、六〇歳までは休業前の年収相当額を、また、一般的に収入額の減少が予想される六〇歳から六七歳まではその学歴に応じ賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・男子労働者・小学・新中学卒・年齢別(六〇歳ないし六四歳)の年収相当額をそれぞれ得ることができたものと推認するのが相当である。

そこで、同原告の逸失利益の昭和五六年一〇月三日における現価を算定すると、次のとおりとなる。

(1) 昭和五六年一〇月三日から平成元年六月一七日まで

〈証拠〉によれば、原告菊池の昭和五四年一〇月から昭和五五年九月までの給与の合計額は三七四万五四八九円であると認めることができるから、これを基礎に、右期間(約七年八月間であるが、八年間で計算し、余計に認めた分については次の慰藉料額において斟酌することとする。)の逸失利益の昭和五六年一〇月三日における現価を算定すると、次のとおり二四二〇万七〇九五円となる。

3,745,489×6.463=24,207,095

(2) 平成元年六月一七日から平成八年六月一七日まで

昭和六三年賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・男子労働者・小学・新中学卒・年齢別(六〇歳ないし六四歳)の年収額二八七万一三〇〇円を基礎に、右期間(七年間)の逸失利益の昭和五六年一〇月三日における現価を算定すると、次のとおり一一二四万六八八二円となる。

2,871,300×(10.380-6.463)=11,246,882

(3) 小計 三五四五万三九七七円

(二) 慰藉料

前示認定にかかるじん肺の一般的特質、原告菊池のじん肺罹患の経過及び現在の症状、その他本件に顕れた一切の事情を斟酌すれば、同原告がじん肺に罹患したことにより被った精神的苦痛を慰藉するためには、一四〇〇万円の支払をもってするのが相当である。

(三) 小計 四九四五万三九七七円

3  原告後藤の損害

(一)  逸失利益

前示のように、原告後藤は昭和五六年一〇月五日に珪肺労災病院職業病検診センターにおいてじん肺管理区分の管理四の診断を受け、同月三一日には栃木労働基準局長からじん肺管理区分の管理四の決定を受けたのであるが、前示認定にかかるじん肺の一般的特質、原告後藤のじん肺罹患の経緯及び現在の症状等に照らせば、同原告は、遅くとも珪肺労災病院職業病検診センターにおいて管理四の診断を受けた同年一〇月五日以降は休業して療養を要する状態にあり、その労働能力を完全に喪失したものと認めるのが相当である。

ところで、同原告は昭和四年三月八日生まれで右管理四の診断を受けた当時五二歳であったから、右じん肺に罹患することがなければ、少なくとも六七歳に達するまでは労働に従事することができ、この間、六〇歳までは休業前の年収相当額を、また、一般的に収入額の減少が予想される六〇歳から六七歳まではその学歴に応じ賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・男子労働者・小学・新中学卒・年齢別(六〇歳ないし六四歳)の年収相当額をそれぞれ得ることができたものと推認するのが相当である。

そこで、同原告の逸失利益の昭和五六年一〇月五日における現価を算定すると、次のとおりとなる。

(1) 昭和五六年一〇月五日から平成元年三月七日まで

〈証拠〉によれば、原告後藤の昭和五五年一〇月から昭和五六年九月までの給与の合計額は四二〇万一四三六円であると認めることができるから、これを基礎に、右期間(約七年五月間であるが、七年間で計算し、五月分については次の慰籍料額において斟酌することとする。)の逸失利益の昭和五六年一〇月五日における現価を算定すると、次のとおり二四三〇万九五〇八円となる。

4,201,436×5.786=24,309,508

(2) 平成元年三月八日から平成八年三月七日まで

昭和六三年賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・男子労働者・小学・新中学卒・年齢別(六〇歳ないし六四歳)の年収額二八七万一三〇〇円を基礎に、右期間(七年間)の逸失利益の昭和五六年一〇月五日における現価を算定すると、次のとおり一一八〇万九六五六円となる。

2,871,300×(9.899-5.786)=11,809,656

(3) 小計 三六一一万九一六四円

(二) 慰藉料

前示認定にかかるじん肺の一般的特質、原告後藤のじん肺罹患の経過及び現在の症状、その他本件に顕れた一切の事情を斟酌すれば、同原告がじん肺に罹患したことにより被った精神的苦痛を慰藉するためには、一六〇〇万円の支払をもってするのが相当である。

(三) 小計 五二一一万九一六四円

4  過失相殺について

被告らは、原告らのじん肺罹患には、原告ら自身の喫煙、防じんマスク着用の懈怠、削岩機使用時の水の使用の懈怠、散水の懈怠といった過失が影響しているから、原告らの損害額の算定にあたってこれらの過失が斟酌されるべきであると主張する。

〈証拠〉を総合すると、原告らが、松尾採石所において稼動していた当時、いずれもタバコを喫煙していたこと、削岩機による坑道掘進の最初の手順であるいわゆる口切りの段階で水を使用しないで穿孔をし、そのため粉じんを飛散させたことのあったこと、原告後藤が長孔穿孔作業の最初の手順においても水を使用しないで粉じんを飛散させたことのあったことを認めることができるが、原告らが防じんマスクの着用及び散水を懈怠していたことを認定するに足りる証拠はない。

〈証拠〉によると、原告らが、タバコを喫煙し、また、空繰りをしたことのあるのは、原告らが松尾採石所における作業工程中に発生する粉じんを吸入するときにはじん肺(けい肺)に罹患するおそれのあることについての認識が著しく不足していたことによるものであること、このような原告らの認識不足は、被告らが、原告らに対し、同採石所における原告ら各自の作業現場の粉じんの性質及び濃度等を具体的に告知し、じん肺罹患についての具体的危険を認識させる努力をしなかったことに由来すること等が認められるから、原告らのタバコの喫煙及び空繰りの事実を原告らがじん肺に罹患したことによって被った損害についての賠償責任及びその額を定めるについて斟酌することは許されないものというべきである。

したがって、被告らの右主張は採用することができない。

5  損益相殺について

(一)  被告らは、原告らがじん肺に罹患したことにより現に給付を受け、また将来にわたって給付を受けることが予定される労災保険法に基づく休業補償給付及び傷病補償年金、特別支給金規則に基づく特別支給金(休業特別支給金、傷病特別支給金及び傷病特別年金)並びに厚生年金法に基づく障害年金及び老齢厚生年金は、原告らの損害額(慰藉料を含む。)からすべて控除されるべきであると主張する。

(二)  そこで、まず労災保険法に基づく休業補償給付及び傷病補償年金並びに厚生年金法に基づく障害年金及び老齢厚生年金について検討する。

労災保険法に基づく保険給付の実質は、使用者の労働基準法上の災害補償義務を政府が保険給付の形式で行うものであって、厚生年金法に基づく保険給付と同様、受給権者に対する損害の填補の性質をも有するから、事故が使用者の行為によって生じた場合において、受給権者に対し、政府が労災保険法に基づく保険給付をしたときは労働基準法八四条二項の規定を類推適用し(なお、昭和五五年法律第一〇四号により労災保険法六七条の規定が創設されたが、同法附則二条一一項により同規定は昭和五六年一一月一日以後に発生した事故に起因する損害について適用されるものとされているから、本件では同規定の適用はない。)、また、政府が厚生年金法に基づく保険給付をしたときは衡平の理念に照らし、使用者は、同一の事由については、その金額の限度において民法による損害賠償の責を免れるものと解するのが相当である。そして、右のように政府が保険給付をしたことによって、受給権者の使用者に対する損害賠償請求権が失われるのは、右保険給付が損害の填補の性質をも有する以上、政府が現実に保険金を給付して損害を填補したときに限られ、いまだ現実の給付がない以上、たとえ将来にわたり継続して給付されることが確定していても、受給権者は使用者に対し損害賠償の請求をするにあたり、このような将来の給付額を損害賠償債権額から控除することを要しないものと解するのが相当である(最高裁判所昭和五〇年(オ)第六二一号同五二年一〇月二五日第三小法廷判決・民集三一巻六号八三六頁参照)。また、右にいう保険給付と損害賠償とが「同一の事由」の関係にあるとは、保険給付の趣旨目的と民事上の損害賠償のそれとが一致すること、すなわち、保険給付の対象となる損害と民事上の損害賠償の対象となる損害とが同性質であり、保険給付と損害賠償とが相互補完性を有する関係にある場合をいうものと解すべきであるから、労災保険法に基づく休業補償給付及び傷病補償年金並びに厚生年金法に基づく障害年金につき、これが対象とする損害と同性質であるのは、財産的損害のうちの消極損害(逸失利益)のみであって、精神的損害(慰藉料)は右の保険給付が対象とする損害とは同性質であるとはいえないものというべきである(最高裁判所昭和五八年(オ)第一二八号同六二年七月一〇日第二小法廷判決・民集四一巻四一八頁参照)。

したがって、労災保険法に基づく休業補償給付及び傷病補償年金並びに厚生年金法に基づく障害年金として、原告らがすでに政府から支給を受けた金額は、原告らの逸失利益額からこれを控除すべきであるが、原告らが現実に政府から支給を受けた金額であっても、厚生年金法三二条一号所定の老齢厚生年金が損害の填補の性質を有しないことは、同法の規定に照らして明らかであるから、これを原告らの損害額から控除することは許されないものというべきである。

(三)  次に特別支給金規則に基づく特別支給金について検討する。

(1) 休業特別支給金、傷病特別支給金、傷病補償年金等の特別支給金は労災保険法二三条に定める労働福祉事業の一環として支給されるものではあるが、介護料、労災就学援護費等特定の限定された目的のために支給される金銭的援護とは異なり、労災保険法一二条の八所定の保険給付(以下「本来的保険給付」という。)と一体的に定型的かつ画一的に支給されるものである。すなわち、まず休業特別支給金は、労働者が業務上の負傷又は疾病に係る療養のため労働することができないために賃金を受けない日の第四日目から給付基礎日額(原則として労働基準法一二条の平均賃金に相当する額であり、休業補償給付の支給額算定の基礎となる給付基礎日額と同じである。労災保険法八条一項)の二〇パーセントに相当する額を支給するものであるが(特別支給金規則三条一項)、これは本来的保険給付である休業補償給付(同法一四条一項)と支給事由を同じくし、同給付の給付率を引き上げたと同じ役割を果たしているものである。また傷病特別支給金は、労働者が業務上の負傷又は疾病に係る療養の開始後一年六か月を経過した日において、当該負傷又は疾病が治っておらず、かつ、当該負傷又は疾病による障害の程度が傷病等級に該当するとき、又は同日後右のいずれにも該当することとなったときに、当該傷病等級に応じ、一級に該当する障害の状態にある者(以下「一級障害者」といい、他の級に該当する者についても同様に表示する。)には一一四万円、二級障害者には一〇七万円、三級障害者には一〇〇万円を支給するものであり(同規則五条の二第一項)、傷病特別年金は、労災保険法の規定による傷病補償年金又は傷病年金の受給権者に対し、当該傷病補償年金又は傷病年金に係る傷病等級に応じ、一級障害者には算定基礎日額(原則として負傷又は発病の日以前一年間に当該労働者に対して支払われた特別給与(労働基準法一二条四項の三か月を超える期間ごとに支払われる賃金をいう。)の総額を算定基礎年額とし、これを三六五で除して得た額であるが、右特別給与の総額を算定基礎年額とすることが適当でないと認められるときは、労働省労働基準局長が定める基準に従って算定する額を算定基礎年額とし、これを三六五で除して得た額である。同規則六条一項、五項)の三一三日分、二級障害者には二七七日分、三級障害者には二四五日分を支給するものであるが(同規則一一条一項)、これらも本来的保険給付である傷病補償年金(同法一二条の八第三項)と支給事由を同じくし、同年金の給付率を引き上げたと同じ役割を果たしているものである。殊に、傷病特別年金は、本来的保険給付である傷病補償年金又は傷病年金の算定にあたって考慮されない賞与部分を基礎に算定される、いわゆるボーナス特別支給金の一つであり、傷病補償年金又は傷病年金の加給金的性格をもつものであることは否定できない。右のように、特別支給金は、本来的保険給付と支給事由又は支給額において密接不可分に定型的かつ画一的に支給されている。

(2) 機能的には、特別支給金は、本来的保険給付の給付率を引き上げたと同じ役割を果たしており、同給付を補う所得的効果をもつものである。

(3) また、特別支給金の財源は本来的保険給付と同じく事業主の支払う労災保険料の中に求められているのである(労災保険法二六条)。

(4) さらには、使用者行為災害の場合に、被災労働者が当該負傷又は疾病につき事業主の負担する保険料に基づく特別支給金の支給と損害賠償を取得することは、二重の填補を受ける結果となることが明らかである。

以上の諸点を考慮すると、特別支給金も本来的保険給付と同様受給権者に対する損害の填補の性質をも有するものと解するのが相当である。

したがって、原告らがすでに政府から支給を受けた特別支給金の金額は、前示の本来的保険給付と同様に、原告らの逸失利益額からこれを控除すべきである。

(四)  以上の見地より本件において原告らの逸失利益額から控除すべき金額を検討する。

(1) 原告らが、労災保険法に基づく休業補償給付及び傷病補償年金並びに厚生年金法に基づく障害年金として、別紙各原告の公的給付受給額一覧表記載のとおり、政府から現実に保険給付を受けたことは原告らの自認するところであるが、特別支給金については、原告らが政府からその支給を受けたか否か、支給を受けたとしてその金額がいくらであるかは証拠上必ずしも明確ではない。しかしながら、休業特別支給金、傷病特別支給金及び傷病特別年金が、それぞれ本来的保険給付である休業補償給付、傷病補償年金と同一の支給事由のもとに支給されるものであることは前示のとおりであり、また、特別支給金の支給を受けるためには、特別支給金規則上、支給を受けようとする者においてその申請を行うことが必要とされてはいるが(休業特別支給金につき同規則三条五項、傷病特別支給金につき同規則五条の二第二項、傷病特別年金につき同規則一一条二項)、特別支給金の支給実務においては、休業特別支給金の申請は休業補償給付の支払の請求と同じ書面で行わなければならないことになっており(労働省労働基準局長通達昭和五〇年一月四日基発第二号及び同昭和五五年一二月五日基発第六七三号)、また、傷病特別支給金及び傷病特別年金については、傷病補償年金又は傷病年金の支給の決定を受けた者は、傷病特別支給金及び傷病特別年金の申請を行ったものとして取り扱われることとなっている(傷病特別支給金につき同局長通達昭和五六年六月二七日基発第三九三号、傷病特別年金につき同局長通達昭和五二年三月三〇日基発第一九二号及び同局長通達昭和五六年七月四日基発第四一五号)のであるから、原告らが休業補償給付及び傷病補償年金の支給を受けていることを自認している以上、これと併せて右特別支給金の支給を受けていることも明らかである。

(2) そこで、原告らの自認する別紙各原告の公的給付受給額一覧表をもとに、原告らがすでに政府から支給を受けた休業特別支給金、傷病特別支給金及び傷病特別年金の額を推計することとする。

右金額を明らかにするためには、はじめにこれらの算定の基礎となる給付基礎日額、傷病等級及び算定基礎日額を各原告別に明らかにする必要があるが、給付基礎日額及び傷病等級については、原告らの自認する別紙各原告の公的給付受給額一覧表を労災保険法等の規定に従って分析することにより明らかにすることができる。すなわち、まず原告らが支給を受けた休業補償給付の月額は、給付基礎日額の六〇パーセントに相当する額に当該月の日数を乗じて得た額を示しているはずであるから、同給付の月額を〇・六で除し、更にこれを当該月の日数で除すことによって給付基礎日額が求められる。また、原告らが支給を受けた傷病補償年金の額は、給付基礎日額に傷病等級に応じ一定日数分(一級障害者は三一三日分、二級障害者は二七七日分、三級障害者は二四五日分)を乗じ、更にこれに厚生年金法に基づく障害年金の併給を受けることによる調整率(以下「調整率」という。)を乗じて得た額である。そして、傷病補償年金と、国民年金法等の一部を改正する法律(昭和六〇年法律第三四号、以下「昭和六〇年改正法」という。)による改正前の厚生年金法(以下「旧厚生年金法」という。)の規定に基づく障害年金(原告らが支給を受けていた障害年金は旧厚生年金法に基づくものである。昭和六〇年改正法附則七八条)とが併せて支給される場合の調整率は、昭和六一年三月分までは〇・七六(なお、同年四月分以降は〇・七五である。)とされているから(昭和六〇年改正法附則一一六条一項、二項、労災保険法施行令附則六項、昭和六一年三月二九日政令第五九号による改正前の同施行令二条)、原告らが傷病補償年金の支給を受け始めた当初の同年金の額を〇・七六で除して併給調整前の額を求めたうえ、更にこれを給付基礎日額で除すことによって何日分が支給されているかを求めることができ、これにより傷病等級を明らかにすることができる。ところで、算定基礎日額は本来的保険給付の算定にあたっては用いられない概念であるため、原告らの自認する別紙各原告の公的給付受給額一覧表からこれを明らかにすることはできないが、原告らが証拠として提出した給与票等によって、負傷又は発病の日以前一年間に原告らに対して支払われた特別給与の総額を認定することができるので、これを算定基礎年額として算定基礎日額を推計することとする。

もっとも、前示のとおり、右特別給与の総額を算定基礎年額とすることが適当でないと認められるときは、労働省労働基準局長が定める基準に従って算定する額を算定基礎年額とするものとされているが、右の労働省労働基準局長が定める基準については次のとおり定められている(労働省労働基準局長通達昭和五二年三月三〇日基発第一九二号及び同局長通達昭和五六年七月四日基発第四一五号)。すなわち、〈1〉雇入れ後の期間が、その事業における同種の労働者に対し被災日以前一年間に支払われる特別給与の算定の基礎となる期間(以下「特別給与の算定基礎期間」という。)の全期間に満たないために、支払われた特別給与の総額が、当該労働者に適用される就業規則、その事業場における同種の労働者の受ける特別給与額等から推定して、当該労働者がその事業に被災日までに特別給与の算定基礎期間の全期間使用されていたと仮定した場合に、被災日以前一年間において受けたであろうと推計される特別給与の総額を下回るとき、その推計される額を特別給与の総額とする。〈2〉その事業の特別給与の支給期間が臨時的な事由により例年と相違した場合には、支給時期が例年と相違しなかったならば被災日以前一年間において受けたであろうと推定される額を特別給与の総額とする。〈3〉被災日以前一年間に受けた特別給与の総額が、その特別給与の算定基礎期間中に、三〇日以上の労働基準法一二条三項一号、二号若しくは四号に掲げる期間又は業務外の事由による負傷若しくは疾病の療養の期間があるため、当該労働者に適用される就業規則、同種の労働者の受ける特別給与の額等から推計して、これらの期間がなかったとしたときに受けたであろう特別給与の総額を下回る場合には、これらの期間がなかったとしたときに、被災日以前一年間に受けたであろう額を特別給与の総額とする。〈4〉じん肺患者について、特別給与の総額が、じん肺にかかったため粉じん作業以外の作業に常時従事することとなった日以前一年間において受けた特別給与の総額を下回る場合には、粉じん作業以外の作業に常時従事することとなった日以前一年間において受けた額を特別給与の総額とする。〈5〉被災日に労働者がすでにその疾病の発生のおそれのある作業に従事した事業場を離職している場合には、当該疾病の発生のおそれのある作業に従事した最後の事業場を離職した日以前一年間(雇入れ後一年間に満たない者については、雇入れ後の期間)に支払われた特別給与の総額を基礎とし、被災日までの賃金水準の上昇を考慮して算定した額を特別給与の総額とする。この場合において、賃金水準の上昇を反映させる率の算定にあたっては、事業場の使用労働者の数による区分をせず、すべて常時一〇〇人未満の労働者を使用する事業場の場合の例によるものとする。

右〈1〉ないし〈5〉によって明らかなとおり、右の基準は、いずれも特別支給金規則六条一項本文の定めるところによって算定された特別給与の総額が右〈1〉ないし〈5〉に掲げた事情により低額になっていると見込まれるときに、これを増額修正するために用いられるものであるから、原告らが支給を受けた特別支給金の額を控え目に推計するという見地から、以下においてはこれを考慮に入れないこととする。ただし、同規則六条一項に定めるところによって算定された額が、当該労働者に係る労災保険法八条の二第一項に規定する年金給付基礎日額に三六五を乗じて得た額の二〇パーセントに相当する額を超える場合には、当該二〇パーセントに相当する額を算定基礎年額とし、また、同規則六条一項ないし三項によって算定された額が一五〇万円を超える場合には、一五〇万円を算定基礎年額とするものとされているから(同規則六条二項、四項)、以下においてもこれらの規定による制限を考慮に入れて算定基礎年額を推計することとする。

以上の前提に従って各原告別に受給した特別支給金の額を推計する。

ア 原告岩元

(ア) 休業特別支給金

原告岩元の公的給付受給額一覧表によると、同原告に支給された休業補償給付の日額は六七五〇円であるから、これを〇・六で除した一万一二五〇円が給付基礎日額となる。また、同原告に支給された休業補償給付の合計額は三七八万六七五〇円であるから、これを〇・六で除し、更に〇・二を乗じた一二六万二二五〇円が休業特別支給金の合計額である。

(イ) 傷病特別支給金

原告岩元の公的給付受給額一覧表によると、昭和五七年五月から昭和五八年四月までの一年間に同原告に支給された傷病補償年金の合計額は二〇九万四九〇〇円であるが(なお、同原告が傷病補償年金の支給を受け始めた当初の昭和五七年一月ないし四月分の金額は三〇万〇〇五〇円であるが、その後の年金額と対比して、右金額についてはなんらかの減額調整が行われていることが窺われるので、傷病等級を推定するうえではこれを採用しないこととした。)、これは旧厚生年金法に基づく障害年金との併給による調整を行ったうえでの金額であるから、これを〇・七六で除したうえ(これを計算すると二七五万六四四七円となる。)、この金額を給付基礎日額(一万一二五〇円)で除すと何日分が支払われたかが明らかとなる。これを計算するとほぼ二四五となるから、原告岩元は三級障害者に該当すると認定されたものといえ、傷病特別支給金の額は一〇〇万円となる。

(ウ) 傷病特別年金

〈証拠〉によれば、原告岩元が発病の日以前一年間(昭和五四年六月から昭和五五年五月まで)に支給を受けた特別給与の総額は九万円と認めることができる。もとより、特別支給金規則六条一項ただし書きにより、労働基準局長の定める基準に従って算定する額が算定基礎年額とされることもありうるが、前示のように控え目に算定するため右九万円を算定基礎年額として傷病特別年金額を推計することとする。そこで、これを三六五で除した二四七円(一円未満切上げ、同規則六条六項)を算定基礎日額とし、傷病等級(三級)に応じて、その二四五日分六万〇五〇〇円(五〇円未満は切捨て、五〇円以上一〇〇円未満は一〇〇円に切上げ、同規則六条の二、労災保険法八条の三)を傷病特別年金支給開始当時の支給額と推計する。ただし、傷病特別年金についても、傷病補償年金と同様にいわゆるスライド制の適用があるので(同規則附則一〇項)、同原告の公的給付受給額一覧表により推計される傷病補償年金のスライド率と同じ率を乗ずるものとし、昭和五八年八月以降は一一〇パーセント(スライド後の額は六万六六〇〇円)、昭和六〇年八月以降は一一八パーセント(同じく七万一四〇〇円)、昭和六三年八月以降は一二六パーセント(同じく七万六二〇〇円)のスライド率を適用する。なお、その際の端数調整はスライド率を乗じたうえで行う。

以上を前提にして、傷病補償年金支給期ごとの傷病特別年金の受給額を推計すると、昭和五七年一月ないし四月分が八六六五円(ただし、前示の条件に従えば、後述する同年五月以降と同様に一万五一二五円を下回ることはないはずだが、この時期における傷病補償年金の額が三〇万〇〇五〇円と低額であり、なんらかの減額調整が行われていることが窺われるので、控え目に算定するため傷病特別年金についてもこれを同じ比率で減額調整した。)、同年五月から昭和五八年七月までは各期ごとに三か月分一万五一二五円、同年八月から昭和六〇年七月までは同じく一万六六五〇円、同年八月から昭和六三年七月までは同じく一万七八五〇円、同年八月から平成元年一〇月までは同じく一万九〇五〇円の支給があったものと推認され、これらを合計すると、その額は五二万六九四〇円となる。

イ 原告菊池

(ア) 休業特別支給金

原告菊池の公的給付受給額一覧表によると、同原告に支給された休業補償給付の日額は五七七三円であるから、これを〇・六で除した九六二二円(一円未満切上げ、労災保険法八条三項)が給付基礎日額となる。また、同原告に支給された休業補償給付の合計額は三三一万三七〇二円であるから、これを〇・六で除し、更に〇・二を乗じた一一〇万四五六七円が休業特別支給金の合計額である。

(イ) 傷病特別支給金

原告菊池本人尋問の結果によると、原告菊池は三級障害者に該当すると認定されていることが認められるから、傷病特別支給金の額は一〇〇万円となる。

(ウ) 傷病特別年金

〈証拠〉によれば、原告菊池が発病の日以前一年間(昭和五五年一〇月から昭和五六年九月まで)に支給を受けた特別給与の総額は八万円と認めることができる(もっとも、右各証拠中、賞与と表示された甲第五八号証の一二の一、二、同第五九号証の七の二にはそれぞれ五万円、四万円、四万円と記載されており、これらの金額を合計すると一三万円となるが、原告らの給与票を総合すると、被告菅原からの賞与の支給は毎年七月ころと一一月ころの年二回行われていたものと推認されるので、控え目に推計するという見地から、前記期間中の昭和五五年一一月ころと昭和五六年七月ころに各四万円の賞与が原告菊池に支給されたものと認める。)。もとより、特別支給金規則六条一項ただし書きにより、労働基準局長の定める基準に従って算定する額が算定基礎年額とされることもありうるが、前示のように控え目に算定するため右八万円を算定基礎年額として傷病特別年金額を推計することとする。そこで、これを三六五で除した二二〇円(一円未満切上げ、同規則六条六項)を算定基礎日額とし、傷病等級(三級)に応じて、その二四五日分五万三九〇〇円(五〇円未満は切捨て、五〇円以上一〇〇円未満は一〇〇円に切上げ、同規則六条の二、労災保険法八条の三)を傷病特別年金支給開始当時の支給額と推計する。ただし、前示のとおり、傷病特別年金についても、傷病補償年金と同様にスライド制の適用があるので、同原告の公的給付受給額一覧表により推計される傷病補償年金のスライド率と同じ率を乗ずるものとし、昭和五九年八月以降は一〇九パーセント(スライド後の額は五万八八〇〇円)、昭和六一年八月以降は一一六パーセント(同じく六万二五〇〇円)、平成元年八月以降は一二六パーセント(同じく六万七九〇〇円)のスライド率を適用する。なお、その際の端数調整はスライド率を乗じたうえで行う。

以上を前提にして、傷病補償年金支給期ごとの傷病特別年金の受給額を推計すると、昭和五八年五月から昭和五九年七月までは各期ごとに三か月分一万三四七五円、同年八月から昭和六一年七月までは同じく一万四七〇〇円、同年八月から平成元年七月までは同じく一万五六二五円、同年八月から一〇月までは一万六九七五円の支給があったものと推認され、これらを合計すると、その額は三八万九四五〇円となる。

ウ 原告後藤

(ア) 休業特別支給金

原告後藤の公的給付受給額一覧表によると、同原告に支給された休業補償給付の日額は五四七三円であるから、これを〇・六で除した九一二二円(一円未満切上げ、労災保険法八条三項)が給付基礎日額となる。また、同原告に支給された休業補償給付の合計額は二九一万四六八六円(弁論の全趣旨によれば、六六万八八二六円は旧厚生年金法に基づく障害年金の併給を受ける関係で、併給調整のために返還をしたものと認められるから、休業特別支給金を推計するうえではこれを控除しないこととする。)であるから、これを〇・六で除し、更に〇・二を乗じた九七万一五六二円が休業特別支給金の合計額である。

(イ) 傷病特別支給金

〈証拠〉によると、原告後藤は三級障害者に該当すると認定されていることが認められるから、傷病特別支給金の額は一〇〇万円となる。

(ウ) 傷病特別年金

〈証拠〉によれば、原告後藤が発病の日以前一年間(昭和五五年一〇月から昭和五六年九月まで)に支給を受けた特別給与の総額は八一万三七五〇円と認めることができるが、これは給付基礎日額(九一二二円)に三六五を乗じて得た額の二〇パーセント(六六万五九〇六円)を超えることとなるので、右二〇パーセントに相当する額を算定基礎年額として傷病特別年金額を推計する。そこで、これを三六五で除した一八二五円(一円未満切上げ、特別支給金規則六条六項)を算定基礎日額とし、傷病等級(三級)に応じて、その二四五日分四四万七一〇〇円(五〇円未満は切捨て、五〇円以上一〇〇円未満は一〇〇円に切上げ、同規則六条の二、労災保険法八条の三)を傷病特別年金支給開始当時の支給額と推計する。ただし、前示のとおり、傷病特別年金についても、傷病補償年金と同様にスライド制の適用があるので、同原告の公的給付受給額一覧表により推計される傷病補償年金のスライド率と同じ率を乗ずるものとし、昭和五九年八月以降は一〇九パーセント(スライド後の額は四八万七四〇〇円)、昭和六一年八月以降は一一六パーセント(同じく五一万八七〇〇円)、平成元年八月以降は一二六パーセント(同じく五六万三四〇〇円)のスライド率を適用する。なお、その際の端数調整はスライド率を乗じたうえで行う。

以上を前提にして、傷病補償年金支給期ごとの傷病特別年金の受給額を推計すると、昭和五八年五月から昭和五九年七月までは各期ごとに三か月分一一万一七七五円、同年八月から昭和六一年七月までは同じく一二万一八五〇円、同年八月から平成元年七月までは同じく一二万九六七五円、同年八月から一〇月までは一四万〇八五〇円の支給があったものと推認され、これらを合計すると、その額は三二三万〇六二五円となる。

(3) 以上のとおり、原告らがすでに政府から支給を受けた特別支給金の合計額は、原告岩元が二七八万九一九〇円、原告菊池が二四九万四〇一七円、原告後藤が五二〇万二一八七円となり、これに原告らの自認する金額を加えると、その金額は原告岩元が三七二〇万四五〇九円、原告菊池が二四〇二万七三〇〇円、原告後藤が二四七一万二〇九七円となる。

したがって、原告ら各自につき、それぞれ右金額の限度でその逸失利益額からこれを控除するのが相当である。被告らは、原告らが政府から支給を受けた保険給付の額は、別紙原告らの公的給付金受給額計算書記載のとおりであると主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

(五)  そして、原告菊池が本件示談契約に基づき被告菅原から一二〇万円の支払を受け、これがその損害の填補に充てられるべきものであることは前示のとおりであり、また、原告後藤が日本ロックに対する訴えを取り下げるにあたり、同被告から同原告の妻である後藤カツ宛に二〇〇万円、同原告の子である後藤辰郎宛に一〇〇万円の支払を受けたことは当事者間に争いがないが、その経緯に照らせば、右三〇〇万円の支払は原告後藤の損害に対する填補に充てられるべきものであるから、それぞれこれを控除すると、原告らが被告らに対して賠償を求めうる額は、原告岩元が二二七〇万一八五〇円、原告菊池が二四二二万六六七七円、原告後藤が二四四〇万六五四二円となる。

6  弁護士費用について

金銭債務の不履行を理由とする損害賠償請求訴訟を提起するために要した弁護士費用が、右債務の不履行による損害に含まれると解することはできないが(最高裁判所昭和四五年(オ)第八五一号同四八年一〇月一一日第一小法廷判決・裁判集民事一一〇号二三一頁)、金銭債務を除くその余の債務の不履行に基づく損害賠償請求のすべてについて右金銭債務の不履行についてと同様に解すべきものではなく、少なくとも当該債務が債権者の生命又は身体を保護することを目的とするものであるときには、右債務の不履行に基づく損害賠償請求については、不法行為に基づく損害賠償請求と同様に扱うのが相当であるから、債権者が債務者に対し右債務の不履行に基づく損害賠償請求訴訟を提起するために要した弁護士費用は、当該訴訟事件の難易、審理の経過、認容額その他諸般の事情に照らし、相当と認められる範囲内のものに限り、右債務不履行と相当因果関係に立つ損害として、債務者に対しその賠償を求めることができるものと解すべきである。

被告らが原告らに対して負っていた粉じん作業雇用契約に基づく付随的履行義務は、前示のように原告らがじん肺に罹患しないようにすることを目的とする債務であるから、原告らが右債務の不履行に基づく損害賠償請求訴訟を提起するために要した弁護士費用は、前示の観点から相当と認められる額の範囲内のものに限り、被告らにおいて賠償すべきものというべきである。そして、本件訴訟の難易、審理の経過及び認容額等に照らすと、原告らが被告ら各自に対して賠償を求めることができる弁護士費用の額は、原告らそれぞれにつき二五〇万円と認めるのが相当である。

したがって、被告らは各自、原告岩元に対し二五二〇万一八五〇円、原告菊池に対し二六七二万六六七七円、原告後藤に対し二六九〇万六五四二円を支払うべき義務があるものといわなければならない。

7  遅延損害金の起算日について

以上説示したところによれば、被告らは各自、原告らそれぞれに対し、右各金額及びこれに対する本件訴状が被告らに送達された日の翌日である前示昭和五七年六月九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものというべきである。

原告らは、債務不履行に基づく損害賠償請求権も債権者に損害の生じたことが明確となった日に当然に遅滞におちいるものと解すべきである旨主張するが、右請求権は期限の定めのないものと解すべきであることは前示のとおりであるから、原告らの右主張は採用することができない。

そして、本件においては、(一)(1)債務不履行に基づく損害賠償請求及び(2)これについての付帯請求である遅延損害金請求に係る訴えと、(二)(1)不法行為に基づく損害賠償請求及び(2)これについての付帯請求である遅延損害金請求に係る訴えとが選択的に併合されているものであるから、(一)(1)及び(2)の各請求の全部又はその一部が認容されるときには、当然に、右(二)(1)及び(2)の各請求に係る訴えは取り下げられたものとなり、審判の対象とならなくなるものと解すべきであるところ、すでに説示のとおり右(一)(1)及び(2)の各請求の一部を認容すべきものである以上、右(二)(1)及び(2)の各請求に係る訴えは取り下げられたものとなり、審判の対象でなくなったものというべきである。

したがって、原告らの遅延損害金の請求は、前示昭和五七年六月九日から支払ずみまで年五分の割合の限度で認容すべきものであるが、その余は理由がないものというべきである。

九  結論

よって、原告らの本訴請求は、被告ら各自に対し、それぞれ前示金額及びこれに対する昭和五七年六月九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用し、仮執行の免脱宣言の申立は相当でないから却下することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柴田保幸 裁判官 原田 卓 裁判官 石原稚也)

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